世の中、何事も「陰と陽」があるようにその全てがいいように思える「潔い」という事についても、見る人や場面においては逆効果になってしまう事もあり得るでしょう。
そういったデメリット面についてみていきましょう。
自己中な人に見られて嫌われることも
「潔いこと」のデメリット面の1つ目は「自己中な人に見られて嫌われる」こともある、という事です。
「潔い」振る舞いは確かにカッコいいです。
多くの人が尻込みしたり損得勘定に左右されて自己主張を撤回できない場面において、それらに対する未練や名残惜しさを微塵も出さずに身を引けるのですから、自分もああなりたい、と思うのは当然の事だと思いますよね。
ただ、潔さもほどほどにしないとしつこい、という印象を与えてしまいます。
ただでさえ目立つのです。
「潔さ」は。
よって出す確率は低めにしておかないと周囲の人からはただの点数稼ぎのようにも見えてしまう可能性があります。
これがあまりにしつこくやられてしまうと、「何だ、この人はただの目立ちたがり屋か自己中なだけの人なんだ」というように見られてしまうのです。
こうなってしまったら、せっかくの「潔さ」も台無しです。
「潔さ」が十八番だったとしたら出しすぎは禁物でしょう。
これは世の中の必定とも言えるでしょう。
例えば、テレビで大うけの「ギャグ」も機を逸したりやり過ぎたりすれば「シラッ」としたムードになるのと同じ事なのですよ。
デメリットにならないようしっかり律しましょうね。
見切り発車になってしまうことも
「潔いこと」のデメリットの2つ目は「見切り発車になってしまう」こともあるという事です。
何でもかんでも、自分が率先して「潔い」態度を取ることは墓穴を掘ってしまう可能性も大いにあります。
事の顛末も考えずに取りあえず自分が責任を被るような行動では、「見切り発車」と言われても仕方ないでしょう。
まず、よく事の発端を理解し、その後始末を自分の力量で行えるのか自己分析することです。
それから潔い態度を取りに行くべきです。
それを行わず、何でもかんでも手を上げて「自分がやります」、あるいは「自分が身を引きます」では周囲の空気が一気に「シラッ」としてしまう事間違いないでしょう。
こうやってみると「潔い」かどうかの判断は結構、紙一重かも分かりませんね。
思慮深さが足りないと思われる
「潔いこと」のデメリットの3つ目は「思慮深さが足りない」と思われることです。
大勢の人の中から「キラッ」と目立つことが出来る「潔い」行い。
しかし、それは何度も申しますように、十分な思慮と配慮とが絡み合ってこそのもの。
ただ、藪から棒に手を上げて目立とうと思うだけでは周囲から反感を買ってしまうのは致し方ありません。
よって、そのような「勇み足」を踏んでしまうような人の「潔さ」は「思慮が足りない人」というレッテルを貼られてしまう、という事なのです。
これでは本当に何のための「潔い」行動なのか分かりませんよね。
物事にはタイミングというものがあります。
それを逸してしまうとグッドアイデアも時には「いい迷惑」ともなりかねません。
前後の物事のつながりをよく見極めてから「潔さ」を出しましょうね。
潔い人は周囲の好感度大!
如何だったでしょうか?「潔い」という事について
・「潔い」の意味
・「潔い」の特徴
・「潔い人」になる方法
・「潔いこと」のメリットとデメリット