このように、生まれながらにして宿命のような何かを背負って生まれる時には、どうすることもできないと言わざるを得ません。
「仕方ない」という表現には、どうすることもできないその人の宿命を感じることもあるのです。
そして、例えば男として生まれた人が、ある女性に恋をして結婚することにでもなれば、その人達が結婚するという運命であったのです。
この運命は、それぞれの男女が生きていく過程である絆で結ばれた結果で、この結果はふたりの行動によって変わってきたものであって、どうすることもできないということにはなりません。
どうにかできるチャンスはあるのです。
背が高過ぎる・低過ぎる、胸が大き過ぎる・小さ過ぎる、などはどうすることもできないのです。
ほかに方法がない
ある問題が起こって対策を考える時に、トコトン考えても良い方法が考えられないという時に、「仕方ない」と投げ出すことがあります。
昔の人はこんな時に言う言葉は、「万策尽きた(ばんさくつきた)」と表現します。
あらゆる方法を試みたけれど上手く行かなかったので、もう他に取るべき方法がないという意味です。
一万回も試みたができなかったという感じです。
もう打つ手がない、万事休す、絶体絶命などの表現もあります。
元プロ野球選手で監督になって弱小球団を優勝に導いた星野仙一さんは、脊柱にある黄色靭帯にカルシウムが沈着して骨化するという難病を患っていました。
骨化した黄色靭帯が脊髄を圧迫することで、下肢のしびれや麻痺の症状を引き起こす厄介な病気でした。
この病気の原因が不明であるため、ガンの治療時のように患部を削除したり抗がん剤や放射線治療という効果的な方法は無かったのです。
医師もいろいろと検討したようですが、この病気の経過が予測できないこともあり、初期には消炎鎮痛剤などの投与しか他に方法が無かったのです。
このような状況であるため、万策尽きてこの投与しか「仕方ない」となったようです。
星野元監督も、元気になって野球を楽しみたくて仕方なかったと思います。
やむを得ない
何かを断る時の言い訳として重宝している言葉が「やむを得ない」です。
会社の仲間から「今度のゴルフコンペには参加してよ」と頼まれたのですが、もともとゴルフは好きではないしお金もかかるので断ることにしたのです。
コンペの幹事からも案内のメールが来ていたのですが、「やむを得ない事情で、欠席させていただきます」と返事しました。
「やむを得ない事情って、何だよ?」と問合せメールが返ってきたのですが、今度は「ある事情により仕方なく欠席です」と返事を下のです。
「何だかよく分からない理由だなあ」と幹事はボヤいていましたが、ともかく欠席することは納得してもらいました。
やむを得ないとは、漢字で書くと「已むを得ない」なのですが、「已む」は常用漢字外なので「止むを得ない」という表記の方が一般的なようです。
「仕方がない」と同じような意味なのですが、「已む」とは「雨が已む」というようにそれまで続いていてことが終わることを意味するのです。
そして「を得ない」という言葉は、その前の言葉に対して「それができない」とか「それがない」などの意味の言葉です。
すなわち、「やむを得ない」とは続けるという行為ができないことを表しているのです。
参加するという行為ができない、やむを得ない、仕方ない、と連動するのです。
仕方ないという気持ちの中には、「続けたい(参加したい)けれどそれができない」という感情が込められているのです。
困る
今度入社した新人の若者は、PCのキーボードの操作が下手くそで、Wordで書類を作らせてもすごく時間がかかってしまうのです。
ベテランの女子社員と比べると、3倍ぐらいの時間が必要なのです。
それに加えて、ビジネスレターの書式が飲み込めていないようで、上司から注意されてばかりのようです。
女子社員は両手でブラインドタッチで書類を作っているけれども、新人さんはぎこちない手つきでキーボードをにらみながら叩いているようです。
パソコンスキルは格段に低いようです。
書類作成のスピードが遅いくらいなら、慣れてくると早くなると期待できますが、実は漢字変換のミスが多いのです。
とんでもない漢字を挿入したリ、意味がまったく異なる漢字を平気で使うのです。
これには上司も文句をつけて、顧客に送る文章としては恥ずかしい。
十分に気を付けて見直すことを指示したのです。