「かわいい」を更に古語としてみていきましょう。
「かわいい」を古語でみると「かはゆし」という表現になっていました。
「かはゆし」、これだけ聞いても今の時代では全くピンときませんね。
「かはゆし」とは一体、どういう捉えられ方をしていたのでしょうか?
「かはゆし」は「かほはゆし(顔映ゆし)」が変化したもの
「かはゆし」というのは「かほはゆし」という言い方が変化していったもの、とみられているようです。
「かほはゆし」、これをもっと分解すると「顔」プラス「映ゆし」となったようです。
ここまで分解していけば、勘のいい人だったら何となくピンときた方もいらっしゃるかも分かりませんね。
「顔」が「映ゆし」という状況に陥っていることを意味するこの古語。
さあ、もっと分解してその意味を辿っていってみましょう。
「顔映ゆし」とは、顔を向けていられないということ
「顔映ゆし」というのは、「顔を向けていられない」状態を指しているのです。
つまり、相手の人の状況があまりにひどく、目を正対させることすらままならない尋常ならざる状態になっている事を意味しているのですね。
この意味合いはズバリ、今の「可哀想」に通じている意味と言えますよね。
つまり「可哀想」のルーツはこの「顔映ゆし」から来ていた、という事になるのです。
気の毒、不憫といった意味合いがある
「顔映ゆし」の状況を更にもっと砕いてみていきましょう。
とにかく、相手の人の置かれた状況が悲惨を極めている状態をいいます。
だから、こちらは思わず目を逸らしてしまう、顔をまともに合わせることも出来ない、といった状態を指しているわけです。
例えば、失恋して思いっきり落ち込んでいる状態、仕事で失敗して、慰めようと思っても自暴自棄に陥っている状態。
あるいは汚い話しですが、昔のように田んぼの横に肥溜めがあった時代にそこに落ちてしまって何とか助け上げられたが全身汚物だらけで悲惨な姿になってしまっている状態、と様々です。
しかし、「顔映ゆし」を時代的に最も端的に言い表していた状態は、死に至るような酷い暴行、リンチを加えられ瀕死の状態で横たわっている姿だったのかもしれません。
昔の人々はこのような状態をみて、「何とか助けてあげたい」「しかし、あれでは手の施しようもない。だから顔をそむけるしかない」と心理になっていたのでしょう。
だから、「可哀想」という漢字がこのように書くようになったのかも分かりませんね。
3.「かわいい」は「気の毒」という意味だった
一方、「かわいい」の方の語源ですが、ルーツ的には「かわいそう」とほぼ同じようです。
「気の毒」「ご配慮します」といった意味合いで人々からは忌避されていた、というのが元々の意味合いとして理解されているようです。
この「気の毒」という表現、これは明らかに相手の人が身体的にも精神的にも不幸の真っ只中にいる事を指しているわけです。
だから、手を差し伸べてあげたいけど、恐れ多過ぎて自分如きでは手が出せない、といったように取られていたのでしょう。
しかし、時代の変遷と共に「かわいい」の方の見方は段々、変化していきます。
つまり今まで「気の毒」と思っていた対象が「可哀想」から「可愛そう」に気持ちの変化が表れてきた、という訳です。
4.その後「かわいい」は「愛らしい」という意味に
「かわいい」は今の時代なら理屈抜きに最高の褒め言葉です。
と、同時にそれは「美」の意識の観念をも変化させてきた「表現」に変わってきているのかもしれません。
しかし、まだ「かわいい」が「可愛い」という意識になっていなかった時代は、普通の人と同じじゃないから気の毒だ、不憫だ、という概念で見られていたようです。
つまり、まだまだ世間に「美意識」というものが一般化されていなかったから、とも言えるのではないでしょうか?
この辺りに「世間」という目に見えない概念が幅を利かせていた時代性を感じずにはいられませんよね。
今の時代に当てはめてみたら「個性的」「独創的」といったものだったのかもわかりません。
しかし、時代の変遷とともに、それまで「気の毒」とみられてきていたものが、真に「可愛い」「愛おしい」というものに段々と変貌してゆくのです。