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「可哀想」と「可愛そう」の違いは何...(続き5)

これが世間の一面を垣間見せる風景なのかも分かりませんね。

涙ぐましい

「可哀想」と「可愛そう」の類語の3つ目は「涙ぐましい」です。

「涙ぐましい」にはそのあとに「努力」という言葉がよくつきますね。

「涙ぐましい努力」という言葉はよく耳にする言葉だと思います。

例えばダイエット。

特に女性が目標体重目指して頑張る姿は応援したい気持ちを通り越して、一種の「恐怖」すら覚えさせてしまうほど壮絶なものを感じさせる場合があります。

まさに「手が出せない」「救ってあげたいけど無理」「お気の毒」という言葉の連想しか浮かんでこないくらい厳しいものがあります。

努力というものは、人に見せない方がいい場合が多いと思うのですよね。

特にダイエットにおける努力は人前にさらさない方が本人のためにも周囲の人のためにもいいでしょう。

過度なダイエットは体内から糖質を奪い去り、精神面に良くない影響も与えたりします。

とって気持ちと身体のバランスが一致しないようになり、鬼の形相の如く、ダイエットにのめり込んでいってしまう、というパターンが結構多いからと思うからです。

このような姿を晒したら、確かに周囲の人は「可哀想」と思って避けてしまうでしょうね。

気の毒

「可哀想」と「可愛そう」の類語の4つ目は「気の毒」です。

そうですね、「可哀想」も「可愛いそう」も元々の意味をひも解けば「気の毒」が必ずついてきますからね。

「気の毒」というのは、その人が常軌を逸するくらいの不幸や悲しみを背負ってしまった状態を見て、周囲の人が感じてしまう心の感情です。

出来る事なら手を差し伸べて救ってあげたいのは山々なのですが、どうすることも出来ません。

だからせめてもの良心の呵責として「気の毒」という気持ちを起こすのです。

例えば、最愛の妻を若くして失ってしまった亭主の悲しみ。

察するに忍びないほどの悲しみと憔悴になってしまいます。

こんな状況になってしまったら周囲のものはどうやって救ってあげたらいいのでしょう?

「可哀想」は本当にこのような状況がピタッとはまってしまうのです。

出来ることならこのような「可哀想」や「可愛そう」な状態に陥ってしまう事態、勘弁願いところですよね。

無惨

「可哀想」と「可愛そう」の類語の5つめは「無残」です。

「無残」という状態、あなたは想像がつきますか?

それは口では言い切れないくらいの「心」と「身体」のズタボロさ具合を言っているのです。

例えば肉体的なところを指すならば、交通事故でペッチャンコになった車の状態を想像してみてください。

もしこれが人間の姿だったら…。

とても想像に絶えない状況ですよね。

無残と言うのはこれくらいのダメージを指していると思ってもらいたいのです。

心の方の「無残」さも重症です。

自分の家族が一瞬のうちに言われもしない理由で悪鬼のような人間に通り魔的に殺害されてしまったら…。

もう尋常な精神状態は保てないでしょう。

心が無残にも引き裂かれた、という表現はまさしくこのような状態を言うのでしょう。

「可哀想」や「可愛そう」に通ずる心のダメージは、「無残」という言葉がよく表しているということを認識してくださいね。

連想される言葉

それでは次です。

「可哀想」「可愛そう」から連想される言葉をピックアップしてみましょう。