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お粗末とは?意味や使い方、お粗末な...(続き2)

これは付き合っている二人の仲の良さを素直に受け入れて祝福してあげる気持ちを起こすことが出来ず、「クソ!どうしてあいつがモテて、自分はモテないんだ」というひがみ、やっかみの気持ちを隠そうとする意志がそう言わさせてしまうのでしょう。

「お粗末」は相手に対する「妬み」「ひがみ」「やっかみ」といった感情を抱いてしまった時にも自然と使ってしまう言葉のようですね。

批判

「お粗末」を他者に対して使う場合の意味の3つ目は「批判」です。

「批判」とは相手の意見や意思などを認めず、肯定的に受け止めない「否定」といった表現です。

「批判」あるところには他者に対する「負の感情」が沸き立ち、自らの考えをネガティブ思考に変えてしまう困った能力を備えてしまうのです。

「あいつのやる事、成すこと、全て気に入らない。

全くお粗末なやつだ」といった具合にもなるでしょうか?とにかく相手の行動を認めず、何から何までを否定する発想の一つとして「お粗末」という言い方で誤魔化している、といったところでしょう。

自分・他人どちらにも使える


「お粗末」という言葉の特徴には「自分」に対して、あるいは「他者」に対して使う場合プラス「自分と他人」の両方に対して使える、という特殊性も併せ持っています。

では、「自分・他人のどちらにも使える」時の特徴を追っていきましょう。

低俗

「自分・他人のどちらにも使える」場合のお粗末の意味の1つ目は「低俗」です。

「低俗」とは世間一般の見識・良識から反した極めてレベルの低いもの、といった意味でしょう。

一昔前は「低俗番組」と言われた高視聴率をたたき出すお化け番組がわんさとありました。

コント55号の「野球拳」、ドリフターズの「8時だよ!全員集合」などです。

いずれもお茶の間の笑いと話題を提供するのに十分すぎるくらいのパワーと神通力を持っていました。

しかし、目立ち過ぎるものに対してはどうしても反体勢力からの圧力がかかり新聞紙上などに「低俗」というレッテルを貼られる宿命となりました。

それらの一連の内容をもって「お粗末」と揶揄されていたのが当時の世相だったのです。

まあ、「低俗」と言われるものほど案外、世間からの指示を集め高人気を誇ったりするものです。

それらを含めて「お粗末」と呼ぶのも世間の一般的なものの尺度となっているのでしょう。

くだらない

「自分・他人のどちらにも使える」場合のお粗末の意味の2つ目は「くだらない」です。

「くだらない」と映るかどうかは見る人の主観が大きく影響してきます。

先程、ご紹介致しました番組も見る人によっては最高の娯楽になるでしょうし、そうでない人にとっては世にもつまらない「低俗番組」というレッテルを貼られるのでしょう。

「くだらない」という観念はそれを感じる人次第です。

よってそれを「お粗末」と感じるか素晴らしいと感じるかはそれもその人次第。

どちらにしても「くだらない」と一刀両断にしてしまうのは簡単ですが、それを生み出すための努力やエネルギーに対しては敬意を表してもいいと思いますよ。

何かを「創造」するということ尊い事です。

人のことを批判したり「くだらない」と片付けるだけの人に比べたらはるかに人間らしい行いですよね。

稚拙

「自分・他人のどちらにも使える」場合のお粗末の意味の3つ目は「稚拙」です。

「稚拙」とはやり方がまずく下手くそ、といった意味合いがあります。

つまり自分自身にしろ、相手の事にしろ、下手くそで何をやってもうまくできない奴、といった蔑んだ目でみた表現、と言えるでしょう。

世の中ではそういった「稚拙」な人物に対して「お粗末」といった別の言い方で一笑に付す感覚があるという事です。

まあ、自分自身が「稚拙」なのを謙遜して「お粗末」と言うのはまだ許せる範囲内とも思えますが、他者に対してその行動の仕方全般を指して「稚拙」だから「お粗末」と決めつけて言ってしまうのは、少々、言葉の乱暴差を感じます。

「お粗末」には相手のことを労わり、救ってあげたいといった気持ちが込められていて欲しいものです。

言語道断のような感じで「稚拙だからお粗末な奴!」といった使い方は慎みましょうね。

お粗末の使い方

それでは次に参りましょう。