これも視野が広がる素晴らしい方法です。
皆が違う意見を持っていること、人は見た目で判断するよりその人の信念で判断する方が正しいその人像を捉えられること、初めて聞く意見に触れること。
こうしたことで、視野が広がり、また自分の思考も深まっていきます。
それを一番痛感するのは、社会に出てからです。
物の見方が変化する
例えば一輪の花があるとします。
それは、今までは、ただ道端に咲いていた花かもしれません。
あるいは花壇に植わっているだけの花かもしれません。
ですが、カメラを手に取ると、花だけがファインダーに入ってくるわけではないことに気づくと思います。
原っぱに咲いているのであれば、どこかからタネが飛んできたのだろうとか、花壇であれば、誰かが世話したものだとか、そういうことに気づくようになります。
あるいは、花というのは、花びらだけでなくその他の部分もあるのだとか、集団で咲くものとそうでないものとがあるということ。
そうやって、物の見方が少しずつ変化していくのも、写真を撮っていく上で育まれる大切なことです。
周囲を意識して見るようになる
日々被写体を探しているのですから、自然と日常の周りのものに注意を向けることになります。
そうすると、いろんなことに気がつくでしょう。
校舎の窓がおもしろい。
体育館の裏にはこんなものもあるんだぁ。
校庭ってずいぶんいろんなものに囲まれているんだなぁ。
そんな風景から、あの人のサッカーは足さばきがいい。
いつも教室でちゃらけている人が実は鬼のように面を打つ剣道部。
すでに将来が決まっていてそのための勉強をしている人。
など、ただ教室にいたり、ただ漫然と友達と話しているだけでは気づかないことに気づかされます。
そうなったら、もうおもしろくて仕方なくなるもの。
もっといろんなものを見てみたい、次はどんな発見があるんだろう、もっと違うものを被写体としておさめたい。
だんだん欲が出てくることでしょう。
そしてその分、周囲の、ひいては社会のいろんなものが見えるようになります。
6.感覚が研ぎ澄まされる
日々カメラを構えていると、どんどん自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じると思います。
それは、例えばそれまでなら当たり前で意識しなかった光。
光を操ることは、写真を撮るにあたって最もむずかしいものの一つです。
朝の光なのか、夕方なのか、どこまで光が入ってくるのか。
そういった感覚が研ぎ澄まされるのも、写真部の部員の特徴です。
そして、これぞと思った一瞬を切り取ること。
そこに写真部としての醍醐味があります。
人物でも風景でも、やはり漫然と撮るのではなく、完成に満ちた作品の方が、周りの評価も高いですし、自分自身も満足するのではないでしょうか。
何でもないものが意味をもった作品となる
写真甲子園でもそうですが、意外と普通の一見何でもないものが、ファインダーを通して見ると光りだすのが写真のおもしろいところです。
ただ朝方に談笑しているお店の奥さんや、野菜を切るどこかの店主、塀伝いに遊び場を探す猫まで、普段だったら目も止めないようなものが、被写体として意味を持つことに気づいていきます。
そこにどんな意図を込めるか、どんな構図でどんな光で撮るか。
そういったことを考えながら、カメラと向き合っていく。