私の職場の課長さんは、誰かが有給休暇を取って休むと、「あいつは今頃、リゾート地に飛んで楽しんでいることだろう!俺も、のんびりとしてみたいもんだ!」と言うのが口癖のようです。
というのも、その課長さんもこの夏に、1週間の休暇をとって家族で沖縄旅行に出かけていたのです。
自分だけが休みを取らずに、ずっと働き続けているとは言えないのです。
しかし、この「のんびり」という言葉の意味はどういうことなのでしょうか?
仕事のことなど全く忘れて、ゆっくりと過ごすことなのでしょうか?
それなら、仕事が終わってから、自宅でも「のんびり」することができるはずです。
携帯も電源を切っておいて、会社との接触を断っていれば、のんびりできるのではないでしょうか?
「のんびり」とは、単に行動や思考がゆっくりとすることでしょうか?
よくTVドラマのコントで、原稿の締め切りが近づいた時に、出版社の人が人気作家の自宅にまで押しかけて来て「先生、原稿はまだでしょうか?」などと詰め寄るシーンがあります。
確かに、こんな状況では「のんびり」というわけには行きません。
それに対して、ある作品を書き上げて次の新しい作品のアイデアを練ったり、疲れた体を癒したりするときに、山奥の静かな温泉旅館に泊まりこんで「のんびり」している時があります。
こんな状況では、「のんびり」過ごしていると言えそうです。
つまり、時間に追われることがなければ、のんびりできるようです。
しかしここで気になる言葉があります。
それは「ゆっくり」という言葉なのです。
さきほどの温泉旅館で、「ゆっくり過ごす」と「のんびり過ごす」とどちらもその雰囲気が伝わってきますが、どう違うのでしょうか?
どちらも、誰にも時間にも追いかけられずに気楽に過ごしていると思いますが、どう違うのでしょうか?
この意味を考えていくと、「のんびり」の真の感覚が分かると思います。
「ゆっくり」というのは、何かしらの基準が対して、それに対して急がな行うことを表しているようです。
例えば、いつもなら朝ご飯を20分ぐらいで食べていたのですが、今日は時間があるので1時間をかけて食べたとか、時間をかけて動作や運動を行う時です。
毎朝8時に出勤していたのが、「明日は9時にゆっくり出勤してください」などと時間をかけていい時に使われます。
これに対して「のんびり」という言葉は、何にも基準という制約がない状態の時に、気楽で急がない過ごし方をするときに使われます。
「あの人はのんびりした性格」「暖かい春ののんびりした風景」という遣い方では、「のんびり」を「ゆっくり」に置き換えると、しっくりと来ないのです。
休日に自宅で朝寝をして「今日はゆっくりと過ごす」という時には、今日という一日をゆっくりと時間をかけて過ごすということなのです。
休日明けの仕事という制約があるので、それまでは時間はゆっくり使えるのです。
自宅でのんびりと言うときには、仕事も忘れてゆっくりできるぐらいの時間の余裕がないと「のんびり」とまでは言えないようです。
せめて、1週間ぐらいの休みがあれば「のんびり」できそうです。
のんびりは心のエッセンスになる
上で書いたように、「のんびり」と表現するには何事にも制約されない時間の余裕が必要です。
「のんびり」とは、心身がゆったりと落ち着いていて、何にも制約を受けずに心の赴くままに行動することなのです。
ということは、日常の煩わしいことや嫌なことも忘れて行動することなのです。
ストレスも感じないのです。
だから、「のんびり」するということは心が癒されて、心のエッセンスになるのです。
のんびりすることは悪くない!
働き盛りの人にとっては、毎日のんびりと暮らすことなどできるはずはありません。
家庭を持っている人であれば、なおさら給料をしっかりと稼ぐ必要があるので、会社では一生懸命に働いているからです。
その中に、のんびりと過ごす時間などあるわけがないのです。
周りの人は、忙しく動き回って働いているようです。
そんな中でひとりマイペースで働くと、成績が良くてもみんなからは白い目で見られてしまいます。