CoCoSiA(ココシア)

自分がわからないときに見つめ直した...(続き6)

断“入ってくる不要な物を断つ”、捨“今ある不要な物を捨てる”、離“物への執着から離れる”といった意味があります。

物への執着を捨てることが目的ではあるのですが、身の回りを整理することで、心も体も洗練されたものにすることが出来ます。

また、身の回りのものを整理しながら、自分探しをすることも出来ますよね。

これを買った時、どういう状況でどうして欲しいと思ったのか…それは今必要なものなのか、不要な物なのか。

自分の身の回りにあふれる物と向き合うと、そこにも自分を見つけることが出来るんです。

これは“物”だけではなく、“事”でもいいと筆者は思います。

例えば仕事、また、人付き合いなどです。

今の自分に必要な事なのか、やりたい事なのか…考えながら整理していくことで、色々なものに覆われていた自分の芯が、見えてくるはずです。

自分がわからないってどういう状態だろう

ここまで、自分を見つめなおす方法や、自分探しの方法をお伝えしてきました。

でも、前向きに作業に向かえない気持ちでいる人も、いるかもしれませんね。

その場合は、まず“自分がわからない”という状態が、どんな状態なのかを知るのが先かもしれません。

自分は何がわからないのか、何が不安なのか、どうしてわからなくなってしまったのか…

「自分がわからない」と一言に表現していても、状態は人それぞれでしょう。

ぽっかり心に穴が開いてしまったように、自分の心が感じられないのか…

自分の存在意義が見いだせないと思ってしまっているのか…

自分がどうなりたいのか、先々に希望が持てないことで、自分がわからないと思っているのか…

まずは、何故“自分がわからない”のかを考えていきましょう。

自分が何者なのかわからない


自分がわからないと思う状態のひとつには「自分は何者?」と、自分の存在意義が見いだせない場合もあるようですね。

自分は何者なのか…とう思ってしまう背景には、普段周りに流されやすかったり、周囲にあわせて行動をしていることがあるかもしれませんね。

自己主張をせず、周囲の大勢の人と意見の食い違いがないように生きていると、次第に自分を失ったように感じてしまうでしょう。

その他大勢の周りと同じ…つまり、自分は居ても居なくても同じなんじゃないか?

自分はここに居る意味があるのか?

価値があるのか?

そう思ってしまうのかもしれません。

自分は何者?

確かに自分で、自分の中にあって、一番存在を認識出来ているはずなのにわからない…。

それは、とても苦しい状態ですよね。

人生の目的がわからない

自分に意味が無いのだとしたら、この先の人生にも意味がないんじゃないか…。

そんな不安でいっぱいになってしまうかもしれませんね。

自己主張をせず、他人の価値観の中で生きていると、自分で自分を生きる力を失ってしまいます。

他人の価値観で判断するので、自分の人生の目的も、わからなくなってしまうのです。

そもそも、“何者か”と自分を定義づけすることが必要でしょうか?

筆者は、必ずしも必要な事だとは思いません。

自分は自分であって、「何者?」と考えちゃうところが、等身大のあなたなんです。

きっと、目的や目標がなければダメで、価値が無ければ意味がない!と考えてしまう真面目な人。

それに、他人の価値観の中で生きていると、その他大勢の人にとって意味があるのか、価値があるのかを考えてしまうのでしょう。

確かに、人の役に立つこと、協調性を持って生きる事は、生きていく上で大切なことです。