心配し過ぎないようにするための方法の6つ目は「何か起こったときに対処すれば大丈夫」という事です。
つまり何も起きていないのに、勝手に余計な想像ばかりしていらぬ心配を必要以上に心の中にしょい込むな、という事です。
そう、何か起こってからでないと事の対処は出来ない、という事なのです。
だから、日頃から気持ちをドーンと据えて、何が起こっても動揺しないくらいの気の持ちようを行いましょう、という事を言いたのです。
何も起こっていないのに、勝手な悪い想像ばかりしていても気持ちが疲れるだけで何もいい事はありません。
人間の神経はそんなにタフなものでもありません。
ちょっとした出来事に心をズタズタにされる事が多いのですから、何もない時は神経を休めるべきです。
何か起こったときにだけ対応する。
余計な取り越し苦労はいらないのですよ。
心配することにはデメリットが多い
それでは次に参りましょう。
今度は「心配すること」はデメリットが多い、という事について考えてみましょう。
誰かの身を案じて心配してしまう事はそれだけ深い愛情表現の一つだとは思います。
しかし、起こりもしないことなのに、あれをやってはダメ、これもダメ、何故なら万一の事を思うと心配だから、となってしまったら世の中、まともな生活が出来なくなってしまいますよね。
確かに旅行に行くにも何かの交通機関を利用しますから、全く事故に遭わない保証はありません。
しかし、それを恐れていたら一生、交通機関を利用できない事になってしまい、現代社会をまともに生き抜く事が出来なくなりますよね。
このように過度な心配がそれほどデメリットを招くことか、それをご紹介していく事に致しましょう。
全部で4個のご紹介になります。
ストレスが溜まる
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの最初の1つ目は「ストレスが溜まる」です。
このデメリット、心配する方も心配をかけられる方も両方とも等しくストレスがかかる事になります。
心配のし過ぎは、決して相手に対する円滑な人間関係を助長してくれるものとは言えません。
逆に自身、及び相手に相当なストレスを発生させ人間関係をまずくさせてしまう結果になってしまうのです。
親が子供に対して行う心配のし過ぎ。
それは過保護とも呼ばれ、子供の独立、一人立ちを大きく遅らせる遠因になってしまいます。
結果、双方が親離れ、子離れのタイミングを失い、社会性を確立出来なくなるか、出来たとしても大幅に時期を遅らせる事になります。
こういった状況になってしまうと溜まってくるストレスは半端ではありません。
気持ちが晴れずいつもどんよりとした気分になってしまう。
何かが私の行動を阻害している。
それが心配のし過ぎによる様々な弊害なのです。
今回は親子のパターンを例にとって考えてみましたが、人間関係を形成するものならばあらゆる関係がそれに該当してくる事になります。
過度な心配のし過ぎはストレスを溜めてしまうだけ、という事を頭に入れておきましょうね。
取り越し苦労であることが多い
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの2つ目は「取りこし苦労であることが多い」です。
そうでしょうね、心配し過ぎた事が本当に悪い結果となってしまったら、それはもう「心配」というレベルを越えて「予想的中」という別次元の出来事になってしまいます。
よって心配するだけならば、本人の胸の中を痛めるだけだから誰に迷惑をかけるものでもない、という理屈が通るのでしょう。
ただ、気をつけていただきたいのは人間の持つ「自律神経」というものは願ったり強く思ったりしたことを現実化させる効力がある、という事です。
思う事がハッピーな事ならいいですが、悪い事ばかり思い続けて心配し過ぎる状態になってしまったら、本当にその心配が現実のものとなってしまう可能性もあり得る、という事なのです。
まあ、多くの「心配のし過ぎ」は根拠のないうちは取り越し苦労に終わるでしょうが、あまりにも現実味のあるような想像は避けるべきでしょうね。
時間が無駄になる
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの3つ目は「時間が無駄になる」です。
結局、心配のし過ぎは時間を無駄にしているだけなのです。
人間というもの、心の底から心配していると、他の事は一切、手を動かす事が出来ません。
つまり全くもって労働が出来なくなるのです。
そして結局、何も起こらず。
悪い事が起きなったのですから目出度し、目出度しなのですが、何も手がつかなかった時間の浪費という点を考えれば生産性はいちじるしく損なっています。
時間を無駄にするという行為。
1度や2度くらいなら好いでしょうが、これが日常茶飯事になってしまったら…。
ちょっと頭が痛くなる話になるでしょうね。