このデメリット、心配する方も心配をかけられる方も両方とも等しくストレスがかかる事になります。
心配のし過ぎは、決して相手に対する円滑な人間関係を助長してくれるものとは言えません。
逆に自身、及び相手に相当なストレスを発生させ人間関係をまずくさせてしまう結果になってしまうのです。
親が子供に対して行う心配のし過ぎ。
それは過保護とも呼ばれ、子供の独立、一人立ちを大きく遅らせる遠因になってしまいます。
結果、双方が親離れ、子離れのタイミングを失い、社会性を確立出来なくなるか、出来たとしても大幅に時期を遅らせる事になります。
こういった状況になってしまうと溜まってくるストレスは半端ではありません。
気持ちが晴れずいつもどんよりとした気分になってしまう。
何かが私の行動を阻害している。
それが心配のし過ぎによる様々な弊害なのです。
今回は親子のパターンを例にとって考えてみましたが、人間関係を形成するものならばあらゆる関係がそれに該当してくる事になります。
過度な心配のし過ぎはストレスを溜めてしまうだけ、という事を頭に入れておきましょうね。
取り越し苦労であることが多い
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの2つ目は「取りこし苦労であることが多い」です。
そうでしょうね、心配し過ぎた事が本当に悪い結果となってしまったら、それはもう「心配」というレベルを越えて「予想的中」という別次元の出来事になってしまいます。
よって心配するだけならば、本人の胸の中を痛めるだけだから誰に迷惑をかけるものでもない、という理屈が通るのでしょう。
ただ、気をつけていただきたいのは人間の持つ「自律神経」というものは願ったり強く思ったりしたことを現実化させる効力がある、という事です。
思う事がハッピーな事ならいいですが、悪い事ばかり思い続けて心配し過ぎる状態になってしまったら、本当にその心配が現実のものとなってしまう可能性もあり得る、という事なのです。
まあ、多くの「心配のし過ぎ」は根拠のないうちは取り越し苦労に終わるでしょうが、あまりにも現実味のあるような想像は避けるべきでしょうね。
時間が無駄になる
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの3つ目は「時間が無駄になる」です。
結局、心配のし過ぎは時間を無駄にしているだけなのです。
人間というもの、心の底から心配していると、他の事は一切、手を動かす事が出来ません。
つまり全くもって労働が出来なくなるのです。
そして結局、何も起こらず。
悪い事が起きなったのですから目出度し、目出度しなのですが、何も手がつかなかった時間の浪費という点を考えれば生産性はいちじるしく損なっています。
時間を無駄にするという行為。
1度や2度くらいなら好いでしょうが、これが日常茶飯事になってしまったら…。
ちょっと頭が痛くなる話になるでしょうね。
自分に自信がなくなる
心配し過ぎる事によって起こるデメリットの4つ目は「自分に自信がなくなる」です。
心配をする対象は自分以外ばかりとは限りません。
誰あろう、自分の事を過度に心配してしまう御仁もいます。
こうなってしまうと一人前の人間になるのにどれだけ時間を浪費してしまうことか。
それどころか肝心の「自信」を失ってしまうのですから事態は深刻と言わざるをえません。
確かに自分の行う事の全てに対して余計な心配をしていたら、いつまでたっても自信なんて身に付かないでしょう。
一日も早く打開策を見つけて欲しいものですね。
心配にはメリットもある
では、次です。
今度は心配する事の「メリット」を考えてみましょう。