これらは全てネガティブな言葉。
自分自身をネガティブ思考にしているだけですからね。
どうせやるなら否定ではなく「肯定」しましょうね。
余計なお世話ですいませんでした。
「KY(ケーワイ)」
私が理解できていた若者用語の一つです。
意味は、場の雰囲気や状況を読まずに自分勝手な行いや発言をする人の事をいうのでしょう。
要はその場の状況が即時に理解できない人の事ですね。
「空気を読めない」の空気の「く」と読めないの「よ」をアルファベットにしてひっつけた用語です。
この用、初めてテレビか何かで聞いた時は、なるほど、よくできた言葉だなあ、と感心したものです。
場の雰囲気を察する事もなく傍若無人な振る舞いをする人は確かにいます。
どんな業界にも職場にも学校にもいます。
そういう人の事を面と向かって言うのも憚られるから「KY」という名文句が生まれたのでしょうか?
いずれにしても「KY」は迷惑です。
協調性が欠けた自分本位でエゴ丸出しの言動は周囲の反感を買うばかりでその人にとって、何らいいことはありません。
しかも、「KY」な人は自分の事を「KY」だと認識できないところが尚更、悲劇を生み出しますね。
ミクロとマクロの発想。
この2つを使い分ける人が仕事でも人間関係でも上手くやっていける秘訣だと思いますがね。
「ヤバい」
これも私が理解できていた若者用語の一つですね。
「ヤバい」にはその状況に応じて意味が変わってくるのが特徴です。
通常は、「危ない」とか「不都合な状況」「具合が悪い」といったように自分にとっては好ましくない状況を意味しています。
また、「ヤバい」は違う観点からも使われます。
80年代によく使われていた意味合いが「カッコ悪い」というもの。
そして90年代になってくると「凄い」という肯定的な見方にも使われるようになっていきます。
つまり「ヤバい」は否定的にも肯定的にも使われてしまうややこしい若者用語なのです。
使用されている状況に鑑みて言葉の意味合いを判断しなければならない用語でしょう。
私がこの「ヤバい」という表現に初めて接したのは、80年代の私がまだ20代だった頃。
恐らくテレビの影響で皆が使い始めたのではないか?と記憶しています。
私も当時はよく使っていたかもですね。
やはり若者用語というのは使用する旬の時期というのがあるからでしょう。
逆に中高年齢層になった今になっても「ヤバい」を誰彼構わず頻発していたら良識を疑われてしまいそうです。
加齢と共に確実に若者用語は自身の中から消滅していきますね。
「りょ」
全く私が理解できなかった若者用語です。
「りょ」って一体なんじゃい?というのが素朴な思いです。
びっくりした時の感嘆符のようなもの?と思っていたのですが…。
答えは「了解」だそうです。
「り」とも使うようです。
こうなってくると若者用語というよりも、何かの暗号のようです。