「あの人、黄昏れているね」なんて言葉を聞いたことありますよね。

一般的に黄昏れは孤独や考え事をしている、寂しげな印象を持つ方も多いと思います。

寂しそうで孤独感がありつつも、その姿は大人っぽく好感が持てるものでもあります。

人間は単純にはしゃいで騒いでいるよりも、少し寂しげでネガティブな人を見ると守ってあげたくなるものです。

黄昏れる人を見ると放置しておけない雰囲気が漂っているのです。

黄昏れは単純に暗いというイメージとは異なります。

性格が根暗という意味よりも、何か考えているからこそ1人の世界に入り込むのです。

これは暗いという性格ではなく、黄昏れていることを邪魔されたくないのです。

人生で壁にぶち当たっている時も恋愛で誰かを好きになっている時も1人の世界に入り自分で答えを導き出すことが黄昏れる人の特徴です。

黄昏れるという言葉は落ち着いた人間らしさが込められた言葉でもあります。

黄昏れる人のイメージは若い男女ではなく大人。

黄昏れという意味を知れば知るほど、黄昏れたくなるかもしれません。

黄昏を使いこなそう!

黄昏れていると言うものの、意外と黄昏れとは?と言われるとよく知らない。

言葉のほとんどは日常的に何気なく使っているけれど本来の意味を考えないことが多いと言えます。

黄昏れとは?答えることができる人の多くは時間を示すことでしょう。

たしかに黄昏時という言葉があるので時間を示すものでもありますが、感情的なものを意味することもあるのです。

もし、黄昏れという言葉を使うのなら間違った場面では使いたくないものですね。

ただ単純に時間を示しているのか?それとも背景や感情的なものを表しているのかで黄昏も意味ある言葉になるのです。

黄昏とは?

黄昏とは2つの意味があります。

1つは黄昏時という時間を示すものです。

「もう、黄昏時だね?」なんだか少し色っぽい感じのニュアンスです。

何時と明確に示さなくても空の色を見て判断できるのも黄昏時の特徴です。

2つ目は物事の説明や描写に黄昏という言葉を使うものです。

「どうしたの?1人で黄昏て・・・」物思いにふけっている相手に声をかけるときに黄昏手いるという言葉を使います。

黄昏ている風景は1人をイメージしがちですが、2人でも黄昏ることはできます。

2人で物思いにふけり、ぼんやりとしている姿は黄昏ていると言えます。

人数的なものよりも、そのときの表情や状況を表しているのが黄昏です。

時間帯について

では、黄昏時と言われる時間は何時なのでしょう?

一般的には太陽が落ち始める夕暮れの日没間際を言います。

実は黄昏の言葉の意味は「相手の顔がよく分からない」「誰(た)そ彼(かれ)」という意味から一部では、黄昏と言うようになったそうです。

冬であれば17時位、夏であれば19時位を黄昏時と言うイメージがあります。

天気の良い日は夕焼けでほんのりと赤く染める。

そんな光景もまた季節を感じる時間の表れです。

黄昏は明確に時計を見て何時から何時と言うことではなく、空の色で判断するもの。

ほんのり赤く染まって風景が見えにくくなった時間を黄昏時と言うのかもしれません。

比喩として状態について表わす

黄昏を比喩として状態について表わせば「黄昏るには早すぎる」という言葉もあります。

「最高とは言えないけれど、まだ落ち込む時期でもない」。

黄昏を比喩として考えると物事の説明や描写を示すことです。

相手の状況や背景を見て黄昏という言葉を使います。

例えば、外をボンヤリと眺めて何かを考えているような姿も黄昏ている様子に見えます。

また、落ち込み言葉が少なくなった状況も黄昏ていると言うでしょう。

黄昏ている状況は楽しい状況とは言えない、少しネガティブな状況を言います。

読み方は?

黄昏は江戸時代以降は「たそがれ」と言われていますが、古くは「たそかれ」と
言われたそうです。

その語源は「誰 (た) そ彼 (かれ) は」これだけ聞くと何のことか分かりませんが、人の見分けがつきにくい時という意味があるそうです。

また、類語では黄昏は「こうこん」と言われることもあります。

読み方は多少異なりますが、言葉の意味としては夕方の薄暗い時間や夕暮れ。

または盛りを過ぎて終わりに近づく頃を意味しています。

語源は「誰そ彼」

黄昏の語源は「誰そ彼」と言います。

意味は薄暗い夕方に人の顔が見分けることができない、見分けにくいことで「誰だ?あれは?」という意味からきています。

「たそがれ」は盛りを過ぎた頃で人生の盛りを過ぎた年代をたとえる言葉でもあります。

また別の説では、農夫が田んぼから退き、家に帰る時刻から「田退、たそかれ」の語源もあるそうです。

同じ「黄昏」でも語源を辿ると「誰そ彼」「かはたれ」「たそかれ」「たそがれ」と言い方は変化し、意味も変わります。

人の見分けが付きにくい時間帯

黄昏をイメージすると時間帯を思い描く人が多いと思います。

「黄昏の頃」「黄昏時」「黄昏色」という言葉があります。

黄昏色は夕暮れ時、空が黄色や赤に染まる頃を言います。

夏であれば日が落ちる19時前後で冬なら16時前後が黄昏時です。

黄昏時は淡い色から人や風景が同化しやすく、見えにくくなる時間です。

朝や日中は青い空と太陽で風景も人間もクッキリ見えるものですが、黄昏時は日も落ち見えにくいです。

「前から歩いてくる人は誰だろう?」という意味もあり「黄昏」と言われます。

実際には、そこまで歩いてくる相手が分からなくなることはありませんし、夜に比べれば充分に相手の顔や風景が見えます。

視界がゼロではないことからも、黄昏は「全盛期は過ぎたけれど力を無くす必要はない」という意味で使われることもあります。

明確な時間を示すものではないですが、日が落ちて空が染まる時間を黄昏と言います。

万葉集に出てくる

黄昏は万葉集にも出てきます。

「誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」これは万葉集10巻2240番という句になります。

意味は「誰だあれはと 私のことを聞かないでください 。

九月の露に濡れながら 愛しい人を待っている私を」です。

「誰そ彼」という言葉は「黄昏」の語源と言われています。

相手の顔が見えにくくなる夕暮れ時、古くは精霊の跳梁する禍々しい時と言われています。

「誰そ」と問うことで正体を明らかにしたそうです。

しかし万葉集では問われて答えないといけないけれど、尋ねないでください。

愛おしい人を待ちわびているのですから・・・切ない恋心が伝わってきます。

源氏物語にも出てくる

源氏物語の中にも「わが宿の藤の色濃き黄昏に」という言葉があります。

黄昏時、夕暮れの中 でも、とりわけ秋は趣が深い」 という意味です。

また「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔 」は、近くに寄って見ないと誰かとはわかりません。

黄昏時にぼんやりと見ていた美しい花の夕顔を。

光源氏は歌をわざと筆跡を変えて、自分だと分からないようにしています。

身なりを変えて夕顔の君に会いに出かけています。

当時も現代も恋の気持ちを歌にするときは少し恥ずかしさが見え隠れしているのかもしれません。

対義語は「かわたれ」

黄昏の対義語は「かわたれ」と言われています。

黄昏と言われるようになったのは、江戸時代以降の話しです。

それ以前は「たそかれ」と言われていました。

農夫が田んぼから退き、家に帰る時刻から「田退」と語源とする説もあります。

しかし「彼は誰」を語源とする「かわたれ時」という明け方を さす言葉があることから、「田退」の説は考え難いとも言われています。

漢字では黄昏と書きますが、実は当て字なんです。

本来の読みは「たそがれ」ではなく「こうこん」と言います。

猫も黄昏れる?

猫も黄昏れるのでしょうか?たしかに猫は塀の上やベンチの上でボンヤリしているのをよく見かけます。

これは眠っている感じもしなくもないですが、猫なりに何か考えているようにも見えます。

犬は元気でテンション高いイメージありますが、猫は静でテンション低そうに見えます。

ネットでも「猫 黄昏」と検索すると本当に黄昏れている画像がたくさん見つかります。

犬と猫では比較されますが、犬は人に懐くと言われています。

一方、猫の場合は家に懐くと言われています。

いつでもどこでも愛想良い犬に対して猫は気分屋でツンデレです。

どこか猫は一匹狼的な孤独感をもっているのです。

とくにノラ猫は縄張りがあり、争いをしてでも広げて行きます。

最近では人間に懐く猫が増えた中でも、一匹でいるときは野生を思い出して黄昏ているのかも知れません。

猫が遠い目をして、ボンヤリとしている時は黄昏時です。

そっとしておいてあげましょう。

黄昏の使い方

黄昏という言葉を日常的に使っていますか?

あまり意識をして使うことはないと思いますが、何かの描写を説明するときに黄昏は使うことがあります。

それは時間的なものであるかもしれませんし、比喩的な言葉かもしれません。

黄昏は、どんな時に使うとシックリとくるのでしょう。

大勢で会話をしている時にいきなり「黄昏時だね」なんてことを言う人はいない。

やはり、誰かとシットリと話している時にボソッという言葉なのです。

黄昏という言葉は、少しクールでカッコつけたナルシスト的な発言でもあります。

自分が黄昏という言葉をいうことにより、自分に酔うことができるのです。

1. 彼は黄昏れた人が

「彼は黄昏れた人が好きみたい」どのような意味なのでしょうか?

黄昏れた人とはハイテンションで元気な人のワケがありません。

その逆で大人しく落ち着いている、どこか影があるような相手のことを言います。

芸能人で言えば檀蜜さんのような感じで自分の世界を持っている人です。

黄昏れるということは自分の世界に入り込むことでもあるのです。

誰かに左右されるワケでもなく、流行を追うこともないく、独自のカラーがある人は自分からアピールをしなくても、魅力が溢れでるものです。

それが、黄昏れた人と言えるのかも知れません。

ですが、黄昏れた人と付き合うって行く相手も意外と大変です。

相手が何を考えているか?分からないのです。

勝手に黄昏れを起こされても心を読み取ることは難しいのです。

また、黄昏れた人も人付き合いは上手ではありません。

自分の胸のうちや心を見せることができないからこそ、黄昏れてしまうのです。

黄昏れる人がいると少し疲れるかもしれません。

2. もう黄昏時になった

「もう黄昏時になったね・・・」夕暮れや日が落ちる時間を言いますが、夕暮れになったからと言って「黄昏時だ」とは言いません。

やはり、黄昏時になったという言葉を自然とでる時は風景を見ている時です。

赤くほんのり空が染まり日が落ちた様を眺めているとロマンチストになるものです。

季節を感じる夕暮れの空を眺めながら思わず「黄昏時になった」とポツリ呟く。

黄昏時になったから早く帰ろうというよりは、季節の移り変わりを感じているのです。

ちょっと前までは暑くて日も長かったけれど、気づけば秋の香りを感じる。

そんなときに「黄昏時になった」という言葉を使うかも知れません。

黄昏時になったという言葉は真夏の夕暮れには、あまり使いません。

どちらかと言えば寒くなった季節の方が似合うイメージがあります。

夏の終わりを感じる秋や日が落ちるのが早くなった冬などに使うことがあります。

時間を示すことばでもありますが、同時に季節を感じる言葉でもあるのです。

3. 黄昏草が咲いている

黄昏草とは別称ユウガオと言います。

アサガオとは異なり、ユウガオはウリ科の一年生つる植物です。

茎が長く伸びアサガオのように他に絡みつく、夏の夕方に花びら深く五つに裂けた白色の花を開きますが翌朝にはしぼみます。

他にも球状のマルユウガオと円筒状のナガユウガオがあります。

マルユウガオはカンピョウをつくることができます。

アフリカや熱帯アジアの原産ですが、日本でも栽培されています。

夕方の黄昏時に散歩をしていてアサガオのように咲いている花を見つけたら、それは黄昏草が咲いているということです。

黄昏時が過ぎれば黄昏草も閉じてしまう。

少し切なく、ロマンチックな風景だと思います。

黄昏れる人の特徴とは

いわゆる黄昏てる人とは、どんな人のことをいうのでしょうか。

誰でも黄昏れているワケではありません。

黄昏れる人には特徴的な物があります。

先ほど少し説明しましたが、良くも悪くも自分がある人です。

マイナスなイメージで言えばネガティブ思考です。

プラスなイメージで言えば真面目でネガティブが魅力となることです。

ですが黄昏れている人は正直、人付き合いが上手とは言えません。

また、黄昏ている人が側にいると場の雰囲気が変わってしまう。

そのような特別な空気を持っているのも黄昏れる人の特徴です。

1. なんとも切ないことが起こって悲しく思っている

黄昏れる人は感情移入が激しい人です。

なんでもないようなことが幸せだったと思う・・・という歌がありましたが、まさしく何でもないようなことでも切ないことが起こって悲しく思っています。

もちろん、実際に他人には言えない切ないことが起こって悲しく思うこともあります。

どちらにしても、他の人よりも悲しみの受け取り方が大きいのです。

誰かに相談することで悲しみを半分にすることができる人もいれば、全て受け止めてしまう人もいます。

黄昏れる人は後者で、全て受け止めて発散することができないのです。

だからこそ、1人で悩み黄昏れるのです。

2. 自分に自信がない

黄昏れる人は基本的に自分に自信がないのです。

ないからこそ、自分の言いたいことを声にして周囲に伝えることができません。

1人でぼんやりと物思いにふけることが黄昏れるということです。

1人で考えていると自分の感覚だけで決めてしまいます。

誰かに相談しないことで失敗してしまったことは全て自分のせいと思うのです。

そうすると「何故、自分は失敗ばかりしてしまうのだろう、今の仕事に向いていないのかな?」と悶々と考えてしまい黄昏れてしまいます。

日々、黄昏れている人は自分自身を毎日のように責めてしまいます。

この繰り返しが自分を自信がない人間にしてしまうのです。

3. ネガティブに物事を考えるタイプ

黄昏れる人は物事をネガティブに考えてしまうタイプです。

何か問題につまずいてしまったときに誰かに相談することで解決策が見つかるかもしれませんが、ただ1人で黄昏れて自分だけで考えていると解決策は1つしかないのです。

自分自身が導きだした答えが解決策ですが、導きだした答えは自分を責めることです。

それではポジティブに働くことはできません。

「どうして、あの時に・・・」と過去を振り返り後悔ばかりをしてしまう。

後ろを振り返りがちな考えはネガティブです。

黄昏れさんはネガティブに物事を考えるタイプが多いのです。

4. 物事を深く真剣に考える人

臨機応変に物事を考えてしまう黄昏れさん。

よく言えば真面目で信用できる人ですが、悪く言えば少しメンドクサイ人です。

人生は妥協という文字で成り立つこともあります。

たとえ導き出した答えが100%正しいものじゃなくても、80%正しければ良いのです。

しかし黄昏れて1人で悶々と考える中で疑問ばかりが埋まる黄昏さん。

「何故?」を追究するあまりに何時間も考え込んでしまう。

周りが見えなくなるほど考えてしまうからこそ、自分の世界に入り込んでしまうのです。

物事を深く真剣に考えると疲れてしまうものです。

妥協しないことで自分自身のエネルギーをとられてしまう。

物事なんて深く真剣に考えだしたらキリがないのです。

「何故、生きているの?」最終的には生きていることさえも真剣に考えるようになります。

これは真剣に考えるべき、これは見過ごそうと人間は自然と振り分けをしているものです。

ですが黄昏れる人は振り分け方がヘタなのです。

1人で静にしている時間を自分から選らんで真剣に考えてしまう。

黄昏れるということは良くも悪くも物事を深く真剣に考える人です。

他の人よりも疲れてしまっているはずです。

5. ナルシスト

黄昏れることで自分自身に酔っているナルシストが多いことも黄昏れポイントです。

大勢のグループでテンション高く騒いでいる行動を見下しています。

「自分は大人、他の人とは違う」心のどこかで思っているのが黄昏れさんです。

たしかに、物思いにふける姿は大人しく品の良さを感じるものですが、精神面では大人と言えば大人とは言い切れないものがあります。

ナルシストは自分の世界に入り込むものです。

その場の雰囲気をあわせることよりも自分の世界を優先するのです。

それは大人の行動とは言えないものです。

たとえ、興味がない話題であっても空気を読むことが大人です。

自分の世界に入り込み、黄昏れている自分の姿に酔う人間はナルシスト意外の何者でもないのです。

6. 悩みを貯め込むタイプ

黄昏れさんは自分の意見や思っていることを相手に伝えることが苦手です。

自分の感情のコントロールが得意そうで苦手なのが黄昏れる人の特徴です。

自分の感情を伝えることで相手はどのように感じるのだろうか?

伝える前に不安が先に頭に過ぎってしまうから伝えることができないのです。

「伝えたところで相手は理解してくれないに気まっている」「自分が悪いから」とネガティブ思考に物事を考えてしまう性格だからこそ何も言えないのです。

逆に悩みを誰かに相談できる人間であれば黄昏れる時間があるワケがないのです。

相手に相談していて、ボンヤリと自分の世界に入り込むことはしません。

悩みを貯め込むタイプは他人に相談できないでいます。

たしかに答えを最終的に導き選ぶのは本人ですが、自分の中で貯め込んでしまうと偏ってしまう心配があるのです。

「他の考え方もあった」悩みを貯め込むと必ず貯め込んだ吐き口が必要になるのです。

黄昏れることになれると貯め込んだ悩みを永遠に吐くことができないのです。

何でも1人で処理してしまう人間になってしまう危険性もあります。

7. 人生に深い悩みを抱いている

黄昏れさんは生真面目な性格だからこそ、全てを真剣に取り組むことができます。

人生において小さな悩みでも、黄昏れさんにしてみると深い悩みになるのです。

深い悩みを抱いていることで安心するのです。

何も考えない、悩みがない人生は意外とつまらないものです。

本来なら悩みなんてない方が楽しく生きれるのですが、悩みを抱くことで日々安心して暮らせる人もいます。

それが黄昏れさんです。

悩んでいることを美学としてい生きているのです。

「深い悩みを自分は抱えている。

キミたちのようにノー天気には過ごせない」心の隅で黄昏れさんは思っているのかもしれません。

人間は小さな悩みよりも深い悩みを抱いている人の方が同情し、その悩んでいる(黄昏れている)姿がカッコ良く見えるものです。

黄昏れることで深い悩みを抱いている自分に酔っているのです。

8. あまりしゃべらず寡黙なタイプ

1人ぼんやりと何かを考えているとき他人に話しかけることはしません。

逆に話しかけられることも億劫に感じるものです。

もともとおしゃべりな人であれば黄昏れる時間はありません。

1人で悩み何かを考えている時間があるから、黄昏ることができるのです。

もともと黄昏れる人はあまりしゃべらず寡黙なタイプが多いです。

あまりしゃべらないからこそ黄昏れることを覚えたのかもしれません。

話しかけることが苦手で楽しそうに話しているグループを眺めていることは、少し寂しそうですすよね?あまりカッコ良いとは言えない姿です。

ですが、黄昏れていることでクールに見えるのです。

「あの人は1人でいることが好きなんだな」と思わせることができます。

グループに入れなくて1人になったのではなく、あえて黄昏れたいから1人でいる。

これだけでイメージは変わるのです。

黄昏れるのにうってつけの場所

黄昏れることは一種のリラクゼーションでもあるのです。

黄昏れることで1人になれる、ぼんやりできます。

意外と1人でぼんやりすることは毎日の忙しい生活の中で見つけることは大変です。

何もしない時間なんて考えてみればないものです。

悩みがあったも、考える時間がほしくても次から次に新しい悩みは生まれてくるのです。

1つの悩みにじっくりと向き合いたいと思っても、毎日、人付き合いをしていると疲れることがありませんか?

どんなに仲良い友達でも1時間や2時間も話せば、それなりにエネルギーが必要なのです。

生きて行くことは何もしなくてもエネルギーが少なかれ必要です。

そこに人付き合いが絡んでくると一気に消耗して疲れてしまいます。

だからこそ、ぼんやりと黄昏れることができればバランスを保つことができるのです。

黄昏れようと思えばどこでもできますが、もっとロマンチェックに黄昏れたいものです。

黄昏れている自分に酔うことができれば本当の意味で黄昏れることができます。

最高の黄昏れができる場所を教えます。

1. 夕日が沈む海岸

黄昏れというだけあり時刻は夕暮れ時です。

夕暮れの空を見てみると真っ赤に染まり幻想的な空の色になります。

とくに空気が澄んで建物等が邪魔しない海岸の夕日はロマンチックそのものです。

黄昏れるということはいかに自分に酔うことができるかが大事です。

夕日が沈む海岸は、どことなく切なく特別感がある映像です。

真っ青な空であれば天気が良ければ見ることはできます。

しかし夕日が沈む時間は24時間で30分程度の出来事です。

まして、海岸沿いに住んでない人にしてみれば海岸は特別な場所です。

2つの特別が揃ったときに何を思うのでしょうか。

普段、考えないようなことをシミジミと考えてしまうのです。

それが黄昏れるということかもしれません。

2. 真っ暗な夜の海

真っ暗な夜の海と聞いて「海が見えない」と思う方もいますが、見えないからこそ幻想的だといえるのです。

真っ暗な夜の海は街灯も少なく、微かに見えるか?見ないか?程度です。

ですが、夜の海は波の音は日中以上に聴こえるのです。

日中であれば車のエンジン音や人の話し声など意外と賑やかです。

もちろん日中も波の音は聴けますが、夜になると波の音しか聞こえなくなるのです。

海の波の音と真っ暗な空に輝く星屑の光景は幻想的です。

この風景に酔えない人はいないと思います。

リラクゼーションするには最高のシチュエーションです。

最高の黄昏れを経験できるはずです。

3. 満天の星空の下

普段は見上げることが少ないと思います。

ですが、ふっと上を見上げたときに星が輝いていたらどうでしょうか?

思わず、輝く星を眺めてしまうと思います。

「明日は晴れるかな?」「あの星は何ていうのだろう?」「東京で星を見る機会は少なくなったな」など物思いにふけり、田舎を思い出だしてしまうこともあります。

とくに都会にとっては星空は特別なものでもあるのです。

満点の星空は空気の澄んでいる場所だからこそ見える光景です。

都会暮らしをしていると満天の星空に出会うことは難しいのです。

だからこそ、満点の星空の下で様々な思い出を蘇らせてしまうのです。

ちょっとセンチメタルな黄昏れができるのが満天の星空の下です。

4. ベランダで外を眺めながら

なかなか海に行くこともできないし、満点の星空も出ていない、でも黄昏れることはできるのです。

普段生活しているベランダも黄昏れポイントと知っていますか?

1日の仕事を終えて気づいてみれば23時で今夜も終わる、そんな時、何気げなくベランダに出て夜風にあたりながら、ビールを飲む。

そこには星もない、住宅やマンションの窓明かりで味気ない風景かもしれませんが、自分自身が暮らしている場所なのです。

毎日毎日頑張って働いている場所は味気ない風景かもしれませんが安心できる場所です。

1つ消えて行く窓明かりや煌々と輝く窓明かり、遠くのネオンなどを眺めていると個々の生活がイメージできます。

こんな味気ない都会の風景も黄昏れることはできるのです。

1日の仕事終りにベランダに出て風景を眺めてみてください。

いつもと違う感情に黄昏れることができるはずです。

5. 雄大な草原を前に

雄大な草原を目の前にすると思わず走り出したくなることがあると思います。

雄大な草原を目の前にすると最初はテンションが高くなるのですが、大きく深呼吸をすると自分の悩みが小さいことと思ってくるのです。

雄大な草原にゴロンと寝転がり大の字になり空を眺めると色々なことを考えてしまいます。

今までの失敗や思い出など色々と考えているうちに自分の気持ちが落ち着きはじめてきて自分の世界に入り込む、それが雄大な草原を前にすると人間は黄昏れる行動です。

マイナス的な思いの黄昏とは少し違って前向きな黄昏になるのです。

自分の失敗を考えてみるものの、客観的に自分を見ることもできるのです。

雄大な草原は自然からの贈り物のようなものです。

自然を目にしていたり、緑を目にすると心が洗われるような気分になるはずです。

良くも悪くも、しみじみ考えてみたくなるのです。

雄大な草原を前にすると人間は誰でも黄昏れたくなるのです。