そんなときに「黄昏時になった」という言葉を使うかも知れません。
黄昏時になったという言葉は真夏の夕暮れには、あまり使いません。
どちらかと言えば寒くなった季節の方が似合うイメージがあります。
夏の終わりを感じる秋や日が落ちるのが早くなった冬などに使うことがあります。
時間を示すことばでもありますが、同時に季節を感じる言葉でもあるのです。
3. 黄昏草が咲いている
黄昏草とは別称ユウガオと言います。
アサガオとは異なり、ユウガオはウリ科の一年生つる植物です。
茎が長く伸びアサガオのように他に絡みつく、夏の夕方に花びら深く五つに裂けた白色の花を開きますが翌朝にはしぼみます。
他にも球状のマルユウガオと円筒状のナガユウガオがあります。
マルユウガオはカンピョウをつくることができます。
アフリカや熱帯アジアの原産ですが、日本でも栽培されています。
夕方の黄昏時に散歩をしていてアサガオのように咲いている花を見つけたら、それは黄昏草が咲いているということです。
黄昏時が過ぎれば黄昏草も閉じてしまう。
少し切なく、ロマンチックな風景だと思います。
黄昏れる人の特徴とは
いわゆる黄昏てる人とは、どんな人のことをいうのでしょうか。
誰でも黄昏れているワケではありません。
黄昏れる人には特徴的な物があります。
先ほど少し説明しましたが、良くも悪くも自分がある人です。
マイナスなイメージで言えばネガティブ思考です。
プラスなイメージで言えば真面目でネガティブが魅力となることです。
ですが黄昏れている人は正直、人付き合いが上手とは言えません。
また、黄昏ている人が側にいると場の雰囲気が変わってしまう。
そのような特別な空気を持っているのも黄昏れる人の特徴です。
1. なんとも切ないことが起こって悲しく思っている
黄昏れる人は感情移入が激しい人です。
なんでもないようなことが幸せだったと思う・・・という歌がありましたが、まさしく何でもないようなことでも切ないことが起こって悲しく思っています。
もちろん、実際に他人には言えない切ないことが起こって悲しく思うこともあります。
どちらにしても、他の人よりも悲しみの受け取り方が大きいのです。
誰かに相談することで悲しみを半分にすることができる人もいれば、全て受け止めてしまう人もいます。
黄昏れる人は後者で、全て受け止めて発散することができないのです。
だからこそ、1人で悩み黄昏れるのです。
2. 自分に自信がない
黄昏れる人は基本的に自分に自信がないのです。
ないからこそ、自分の言いたいことを声にして周囲に伝えることができません。