意味は「誰だあれはと 私のことを聞かないでください 。
九月の露に濡れながら 愛しい人を待っている私を」です。
「誰そ彼」という言葉は「黄昏」の語源と言われています。
相手の顔が見えにくくなる夕暮れ時、古くは精霊の跳梁する禍々しい時と言われています。
「誰そ」と問うことで正体を明らかにしたそうです。
しかし万葉集では問われて答えないといけないけれど、尋ねないでください。
愛おしい人を待ちわびているのですから・・・切ない恋心が伝わってきます。
源氏物語にも出てくる
源氏物語の中にも「わが宿の藤の色濃き黄昏に」という言葉があります。
黄昏時、夕暮れの中 でも、とりわけ秋は趣が深い」 という意味です。
また「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔 」は、近くに寄って見ないと誰かとはわかりません。
黄昏時にぼんやりと見ていた美しい花の夕顔を。
光源氏は歌をわざと筆跡を変えて、自分だと分からないようにしています。
身なりを変えて夕顔の君に会いに出かけています。
当時も現代も恋の気持ちを歌にするときは少し恥ずかしさが見え隠れしているのかもしれません。
対義語は「かわたれ」
黄昏の対義語は「かわたれ」と言われています。
黄昏と言われるようになったのは、江戸時代以降の話しです。
それ以前は「たそかれ」と言われていました。
農夫が田んぼから退き、家に帰る時刻から「田退」と語源とする説もあります。
しかし「彼は誰」を語源とする「かわたれ時」という明け方を さす言葉があることから、「田退」の説は考え難いとも言われています。
漢字では黄昏と書きますが、実は当て字なんです。
本来の読みは「たそがれ」ではなく「こうこん」と言います。
猫も黄昏れる?
猫も黄昏れるのでしょうか?たしかに猫は塀の上やベンチの上でボンヤリしているのをよく見かけます。
これは眠っている感じもしなくもないですが、猫なりに何か考えているようにも見えます。
犬は元気でテンション高いイメージありますが、猫は静でテンション低そうに見えます。
ネットでも「猫 黄昏」と検索すると本当に黄昏れている画像がたくさん見つかります。
犬と猫では比較されますが、犬は人に懐くと言われています。