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ソウルメイトか見分けるための10個...(続き3)

人智の領域を超えたところで、『お膳立て』されるものと言えます。

人の生活レベルを超えた次元で『お膳立て』された出会いが、絶妙なタイミングで他人同士の感動的出会いの場面を創りだしてくれるのです。

ソウルメイトとの出会いに感動したとき、心の中で『深い縁』を感ずることができます。

深いところで準備されていた『お膳立て』が『深い縁』となって、ソウルメイトと出会った人の心に、人智を越えた感動を与えるのです。

『深い縁』は、我々人間が意図的に設定出来るものではありません。

日々の生活の中で、『魂』レベルの存在を意識できる人は、深い縁を持つソウルメイトとの出会いを実感できるのです。

相手の欠点が気にならない

ソウルメイト同士の『フィーリングが合う』関係になると、相手との間に違和感を感ずることがほとんどありません。

ですから、相手の言動や仕草から、相手の欠点を見出すことが難しくなります。

相手の言動や振る舞いから不愉快感や嫌悪感を抱いたとき、欠点として映ることになります。

しかし、ソウルメイト同士は『似たもの同士』の関係になっていますので、相手の言動や振る舞いから不愉快感や違和感、嫌悪感を抱くことは殆どありません。

ですから、ソウルメイト同士は相手の欠点が気にならないのです。

ソウルメイトか見分ける10個の判断基準

ソウルメイトかどうかを見分けるためには、『魂の友』や『魂の伴侶』との出会いが日常生活の中で起こり得ることとして考えることができるなら、ソウルメイトを見分ける『眼』を備えていると言えます。

人生の目標もなく惰性に流された無気力な日々の生活を繰り返しているなら、ソウルメイトとの出会いは起こり得ないと言えます。

『魂』レベルでフィーリングの合う人との出会いは、日々の生活の中で、『感性のアンテナ』を高くしながら生活することで出会いのチャンスが訪れるのです。

惰性に流される生活を送っていると、感性が『眠った』状態になるため、ソウルメイトと出会う機会があっても気づかずに見過ごしてしまうことになります。

ソウルメイトとの出会いは、日々の生活に『新鮮な風』と『快いエネルギー』を運んできてくれます。

自身の人生と真摯に向き合いながら、自分の人生を今まで以上にステップアップさせたい希望を心に抱くことで、ソウルメイトとの出会いの『お膳立て』が高次のレベルで着々と進められます。

日々の生活で起きる様々な出来事から逃げることなく真摯に向き合うことで、結果の成否に関わらず、ソウルメイトと出会う『お膳立て』を自身に引き寄せることができるのです。

ソウルメイトとの出会いを体験できるかどうかは、今まで歩んできた人生の集大成によって左右されます。

自身の人生から逃げることなく正面から向き合ってきた積み重ねの集大成が、絶妙なタイミングでソウルメイトとの『出会い』をもたらしてくれます。

ソウルメイトとの出会いは、人智を越えたレベルで『お膳立て』されるのです。

『お膳立て』の引き金は、あなたのひた向きな人生が『握っている』のです。

ソウルメイトとの出会いは、あなた次第と言えます。

1.一緒にいると自然体でいられる

人同士が知り合って人間関係を創っていく中で、相手との関係を壊したくない一心で相手に『合わせる』ことに神経を注ぐことがあります。

『合わせる』ことに神経を注ぐことで外見は良い関係に見えても、相手と会う度に心が疲れるものです。

一方、相手と一緒にいると自然体でいられる関係は、お互いに相手の人格を認め合っている域に達していることが裏付けになっています。

見ず知らずの他人同士が知り合いになっていくとき、相手の人柄や価値観、言動をどれだけ理解できるかが大きなポイントになってきます。

この点、ソウルメイト同士の関係であれば、相手の人柄や価値観、言動に違和感を抱くこともなく、無理せずに自然に理解できる領域に達することができます。

相手と一緒にいると自然体でいられる間柄は、意図して出来るものではありません。

言葉のレベルを超えた『魂』のレベルで、お互いに相手の全人格を認め合っていることで、自然体で居られるのです。

自然体で居られることは、お互いの心の奥で温かい思いやりの気持ちが交わされているのです。

つまり、『自然体』は『温かい思いやり』に裏打ちされていると言えます。

安心感がある

様々な人間関係の中で、安心感を感得できる関係が築かれていることは素晴らしい関係と言えます。

相手と居ることで安心感を味わえる時間を過ごすことができる関係は、意図的な関係づくりでは無理といえます。

お互いに本心を包み隠さずサラケ出す時期を乗り越えてきたことで、達成できるのが『安心感』です。

安心感は、相手の人柄を認めて信頼し合える関係が築かれていることが前提となりますので、誰もが安易に築けるものではありません。