能動的な人が発するオーラは淀みがなく、そして行動にも言動にもやはり淀みや迷いがありません。
能動的な人のそばにいると、爽やかで暖かな気持ちに包まれ、自身の内心の変化をはっきりと感じさせてくれるはずです。
能動的な人が嫌われる理由
能動的な人は嫌われないと先に述べましたが、人は千差万別なので絶対と断言ができない部分はあります。
ですが、能動的な人が苦手という人はいても、嫌われるということはない、と断言できるというのがここでの見解です。
もし嫌われるようなことがあるとするのならば、その能動的な人をしっかりと見ていない、と言えます。
または、一番の大きな理由として、その人は、「にわか能動的な人」であり、「自発的と能動的の中間にいる人」と言えます。
では、その「にわか能動的な人」「自発的と能動的の中間にいる人」という、本当の意味で能動的になっていない人、
すなわち周りに好影響を与えていない人の嫌われる要因は何なのでしょうか?
1. 受動的な人は妬む
受動的な人は、全く自分が持ち合わせていない能動的な性格を妬みます。
羨ましいのではなく、妬みます。
しかし、おそらくこの妬みの対象は、上記で書いた「にわか能動的な人」「自発的と能動的の中間にいる人」だと思われます。
なぜなら本当の能動的な人は、そんな受動的な人にももちろん声をかけるからです。
「一緒に遊ぼうよ」と。
もし誰かを仲間はずれにするような行動を取るのならば、その人は本当は能動的ではない、と言い切ります。
2. 威張っているように見える
とても行動的、積極的、これは時には強引に見え、威張っているように見え(というより映る人もいて)、
自分のペースより明らかに早い行動を見せる能動的な人に嫌悪を抱きます。
ですがこれも、「にわか能動的な人」「自発的と能動的の中間にいる人」であるとも言え、
本当に能動的な人は、強制的なことはしません。
決して自分を押しつけません。
周りを見ながら歩きます。
まずは体感してみせ、「楽しいよ」とゆっくりと声をかけるタイプなのです。
3. 目立ちたがり屋に見える
目立つ、というカリスマ的要素が、鼻につく、というタイプの人もいます。
ですがまたこれも、「にわか能動的な人」「自発的と能動的の中間にいる人」が対象であると言え、
本当に能動的な人は、周りの評価を気にして動かないのですから、嫌な目立ち方はしません。
もっと言えば、出すぎる杭は打たれない、といった生き方をしています。
4. 失敗して落ち込まないので、軽く見られる
この「能動的な人が嫌われる理由」を読み進め、普通の感性をお持ちの方ならお分かり頂けると思いますが、
「失敗しても落ち込まないなんて軽い」とそう考えてしまう人はかなりひねくれています……。
確かに、「軽く見る人」もいます。
そういう人が悪いとも言いませんが、それが嫌悪感に結びつくのは、
おそらく小さなことでうじうじとしてしまう自分自身と知らない間に能動的な人を比べ、
無意識にやっかみを発生させていると考えるのが妥当ではないでしょうか。