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傍若無人の意味とは?そうならないた...(続き5)

だから常識やマナーが求められるのです。

人間、若いうちは権威や社会の常識といったものに反感を持ちがちです。

まあそれが若さの特権、とおっしゃる方もいます。

小さくこじんまりとまとまってしまうより、人間的には魅力がるようにも映ります。

しかし、やはりそれは儚い妄想に過ぎないことを悟る時がやってくるでしょう。

常識やマナーは小賢しいものではなく、最終的には自分自身を守ってくれる貴重なものであるという事がいずれ分かるはずです。

守れない人は嫌われる

社会規範を守れない人は、今の世の中では犯罪者という枠組みに入れられかねない危険性も備えています。

これは笑い事ではない本当の話です。

時代の変遷はどんどん早くなっています。

20~30年前は平気で出来た事も今の世の中ではご法度になっている事が山ほどあるのです。

例えばタバコのルール。

昔は会社の中でも喫茶店でも駅の構内でも平気でプカプカやっていました。

それが今はどうでしょう(2017年11月現在)。

会社の中ではオフィスで吸うなどという行為は全くありません。

完全に分煙化されました。

駅でも喫煙していい場所でしか吸えません。

これだけ10年単位で世の中の価値基準が大変化しているのです。

勿論、守れない人は嫌われるどころか警察沙汰になりかねないでしょう。

常識やマナーが人を守るための構造に変わっていっている構造を早く理解すべきでしょうね。

7、自分の非を認める

傍若無人にならない為の対策の7つ目は「自分の非を認める」です。

自分の非を認める。

中々出来ない事です。

大の大人でもなかなかできない事です。

しかし、時と場合によって潔く、自分の間違いや行き過ぎを謝らなければならない時は、人生の中において必ずや来ます。

その時に素直に非を認めて謝れれば、あなたは立派な社会人の1人です。

反対にその千載一遇のチャンスを逃してしまうと、以後もう二度とあなたは人前で頭を下げる事が出来ない人間になってしまうでしょう。

認めないと何度も同じ事を繰り返す

人間には「プライド」というものも存在します。

他者から侮られたり罵られたりしても、最後の一線まで守り通すべくその人の「核」ともなるべき部分です。

私もプライドを持つことは悪い事とは思っていません。

いえ、むしろ一つぐらいは確固としたプライドを持っている方が、物凄く人間らしい生き方が出来る、とも思っています。

しかし、本当のプライドの持ち主は他者に対して、非礼な行動に出たならすぐに謝るだけの度胸や勇気を持ち合わせています。

そんな事ぐらいで揺らぐ脆いプライドではないからです。

問題はそこまでのレベルに達していないひ弱なプライドを後生大事にしている人です。

自分自身が完全だと疑いもなく思っているので、頭を下げるなどという事は全く行えません。

だから哀れな人間だと思われてしまうのですよね。

また、タチが悪い事に傍若無人な人が懲りずに同じ事を繰り返すのも、このおかしなプライドが邪魔をしているのです。

何せ全地球上で最も偉いのが自分だ、と迷うことなく思い込んでおられる方たちですから。