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ギブアンドテイクとはどういう意味?...(続き6)

そういう時はサッと身を引くなり、あきらめることも肝心です。

そのほうが円滑な人間関係、そして自分が傷つくもの避けることができます。

与え続けるのが疲れた


「与える」人間か「もらう」ほうの人間か人は二通りに分かれるといわれます。

幸福や自己実現は「先出し」することが重要と言われますし、宗教でも「与える」人が徳の高い人という教えがあります。

イエス・キリストは周知のとおり与え続けた人でした。

しかし、このように与え続けることは、私たち、一般人の通常の精神状態からすると心の疲弊をもたらします。

人間はある程度の予測や希望ができないと、この「与える」ということができる人は少ないと思います。

努力をするのに疲れた時、与え続けるのに疲れた時は問答無用に一時休むという方法をとりましょう。

心が疲れた時に良い事象というのはなかなか起こりにくいものです。

心が健やかになる時をゆっくり待って自分のための時間を持ちましょう。

良い心理状態

心を安定させること、心が健やかなことというのは生活において最も大事なこととです。

精神状態や心のストレスが病にどれだけ影響するかはよく知られていますよね?

ネガティブな精神のもとで生まれた発想や考えは、知らず知らず自分の潜在意識に伝わり、それが現実化してしまいます。

ネガティブな精神状態の時は、何かを考えるということはなるべく控えたほうがよいでしょう。

ポジティブな精神状態で物事を考え、願いを現実化させましょう。

必ず願い通りの「テイク」があるはずです。

もらえなくても与え続ける

「与え続けてももらえないの?」とこう言われると悲しくなるかもしれませんね。

でも実際に私たちはもらえなくても与え続けていることがあります。

それは親子関係です。

育児をする親は子に対して「もらう」ということを期待しながら育ててはいないでしょう。

それは我が子だからこそで、愛情や義務に起因します。

あまりにも自然なことのため、深く考える人もいないかもしれません。

言い換えれば「愛情」はもらえなくても与え続けることのできる、ギブアンドテイクなしでもいい唯一の感情かもしれません。

親子間の愛情、男女の愛情、他人との愛情、「自分はもらえなくても与え続けられるか?」考えてみてください。

意図的に与えようとしない、あくまでも自然に

人間関係でギブアンドテイクは必要といわれます。

しかし、ギブアンドテイクにネガティブなイメージを持つ人は、それがとても意図的でわざとらしいからというイメージがあるからかもしれません。

人の言動や行動に疑念を持ったり懐疑的になってしまうと、その人を信用することが難しくなります。

相手からこのように疑われてしまうと、信用されなくなりますので意図的やわざとらしさを消してあくまでも自然に「与える」ということが重要です。

天才的な詐欺師といわれる人はこの意図的やわざとらしさをみせずに、自然に相手の懐に入っていくのが上手なのでしょう。

もらえることが当たり前と思わない

「もらえる」ためには何かが必要不可欠だということがあります。

子供の頃を振り返ってみると、当たり前と思っていたことが、大人になって、そうではないとわかったということがたくさんあるのではないでしょうか?

夕食の家族のだんらんや三度食事が当たり前に食卓に並んでいたこと、毎日持っていたお弁当や学校や塾や習い事に通っていたことは、両親の努力があったからこそです。

「与える」には努力や継続をすること、そして自分が「もらえた」ら「返す」ということが必要なのかもしれません。

子供の時、両親はあなたの笑顔や成長を楽しみに与え続けていたことでしょう。

子供の時教えられた、何かをもらったら「お礼をいう」「笑顔を返す」これらシンプルなことが大人になってどれだけ大事なことかとわかってくるのですよね。