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厚顔無恥の正しい意味と使い方!厚顔...(続き2)

厚かましくて恥知らず

あなたの身の周りには、厚かましいと言われている人がいるはずです。

普段は分からないのですが、何かの行事で一緒になった時とかみんなで何かをしようと集まった時に、その人の厚かましさが垣間見える時があるのです。

かって大阪のおばちゃんは、厚かましい人が多いという認識が広まり、TVでもその話題が多く取り上げられたときがありました。

ある食品の販売会社の営業マンに聞いた話ですが、食品の展示会に出展して試食コーナーを設けますが、関西圏と関東圏ではおばちゃんの行動が明らかに違っているというのです。

それは、関東圏での展示会(ビッグサイトや幕張)では、新商品の紹介を兼ねて試食をしてもらっているのですが、通りがかったおばさんに「どうぞご自由に試食してください」と呼びかけると、「そうですか、では一つ頂きます」と挨拶をしてから一つ手に取って食べてみて感想を言ってくれます。

だいたいがこのような態度です。

これが関東圏での平均的な対応です。

しかし、関西圏では違うのです。

「ご自由にご試食ください」と張り紙をつけておくと、通りがかったおばちゃんは「自由に食べていいの?」と一応は尋ねますが、次の行動は片手で5~6個を鷲づかみにして持って行くのです。

その場で試食するという余裕はないのです。

そしてさらに驚くことには、近くにいた友達のおばちゃんにも「自由に食べていいらしいよ」と囁くとその仲間がやってきて、またそれぞれが鷲づかみにして持って行きます。

こぼさないようにすぐにカバンに詰め込んでいます。

「自由に試食できる」とは、「自由に(好きなだけ)持って行くことができる」と解釈しているようなのです。

あらかじめ用意していた試食品は、すぐになくなってしまいます。

厚かましい上に恥も外聞もないという状況なのです。

それ以来、関西圏では一つづつ手渡しするようにしたそうです。

この程度のことなら何も顔に青筋を立てて怒ることもないのですが、世の中には驚くような厚顔無恥な人、厚かましくて恥知らずな人もいるようです。

無恥厚顔とも言う

「無恥厚顔(むちこうがん)」とも言います。

自分の行動について省みる様子がない人のことです。

自分主体に考えているために、自分の行動は間違ってはいないと固く信じて、厚かましく行動する態度です。

「厚顔無恥」と同じように使われますが、厚かましくて恥知らずということを表現するには、「厚顔無恥」の方が多く使われるようです。

厚顔無「知」と間違えている人も多い

よく「無恥」の「恥」の漢字を「知」に変えている「厚顔無知」という熟語を目にすることがあります。

どちらも発音は同じなので、間違えることも多いようです。

厚かましくて恥知らずという意味では「厚顔無恥」の方が正しいのです。

「無恥」は恥を恥とも思わないという意味で、その人の行動について「恥じないのか?」と責めているのです。

普通の人なら恥ずかしいと思うのに、あの人は恥ずかしいとは思わないのか、という気持ちが込められているのです。

「無知」の場合は、要するに知識や知恵が足らないことで馬鹿にされている状態を意味します。

もちろん、「恥」という知識が欠如しているなら、「恥ずかしい」と感じることができないのでしょうが、「恥」だけでなく一般的な知識や社会常識などを知らないことも含まれています。

つまり、常識を勉強していない「無知」だと評価されるのです。

間違ったことを間違えているとは知らずにそのまま行動し続けることで、分かったうえで敢えて恥を覚悟で行動する「厚顔無恥」とは区別されます。

「この恥知らず!」と憤る時には、「無知」ではなくて明らかに「無恥」なのです。

恨まれることも平気で行動する時は「厚顔無恥」なのです。

厚顔無恥な人は必ず嫌われる

「厚顔無恥」と言われる人は、あえて自分に都合が良いように行動するため、嫌われることもいとわないのです。

必ず嫌われることを覚悟のうえでも「厚顔無恥」を押し通すのです。

「厚顔無恥」の態度で意志を押し通すことで、そのうちにみんなが諦めて忘れてくれるからです。

重大犯罪を犯しているなら、そのままでは済まされませんが、そうでもなければ、誰かがちょっと迷惑を被っている程度のことであれば、たとえその時に嫌われても、時間が経てば忘れてしまうだろうと推測しているのです。