徳の足りないこと
「徳」について考えると、なにか哲学的な思想の世界に入ってしまいます。
ここではそんな難しいことは別にして、もっとわかりやすい言葉で表現しましょう。
「徳」という漢字は、行人偏(彳)と直(なお)と心に分解できます。
「直き心(なおきこころ)」で行う行為なのです。
自分が徳という風に認識しなくても、直き心すなわち真心で他人のことを思いやることなのです。
「あの人は立派な人だ」などという時には、その人は「徳」を備えた人であるといえます。
「技術は教えることができるし、習うこともできる。
けれども、「徳」は教えることも習うこともできない」(松下幸之助)と言われています。
「徳」を高めるコツなどもありません。
「徳とは心で会得し、それを実践すること」とも言われます。
このように、姿かたちがハッキリしない「徳」ですが、多くの人の中には「あの人は得のない人だ」と言われる人もいます。
つまり、立派な人ではないと言われているのです。
「徳」が足りないと誰からも好かれない人になってしまいます。
「人徳がない人」などとも言われます。
では、「徳」の足りない場合について考えてみました。
徳が備わっていないこと
世間を見渡すと、本当に徳があるなあと思われる人など、そうザラにはいないものです。
うさん臭い徳に見せかけた人もいるようで、人を見る目も養わないと行けないようです。
逆に、あなたの周りに徳が備わっていない、つまり徳の無い人がいるとしたらどのような性格の人なのでしょうか。
ちょっと考えてみました。
私が思うには、自己中心で他人に気配りしないタイプの人と思います。
自分の欲望だけで突っ走り、他人のお金や持ち物を見るとこそっと手に入れたくなってしまうようです。
見つからない、バレないと思い込んでいるところが「徳」が備わっていないところでしょう。
公金や自治会の財産につい手を出してしまうこともあります。
他人のお金であれば惜しげもなく使い込むのですが、自分で貯めたお金には未練があって、ケチな性格のようなのには笑ってしまいます。
徳が備わっていない人は、ひねくれて自分勝手な考えも持っているようです。
だから、公金を横領したリ自治会費を使い込んでも、「不徳を致した」理由を利己的に説明するのは得意なようです。
また、徳が備わっていないと、感情的にも不安定で、気分にはムラがあるようです。
ある時には嬉しそうに笑っていたと思うと、都合の悪いことを指摘されたりすると烈火のごとく怒りだすのです。
最近の話題になった人の中でも、レスリングの指導者、アメフトの指導者、日本アマチュアボクシングの指導者など、思いつく人だけを挙げても徳が備わっていない人ばかりだなあと思ってしまいます。
徳が備わっていないと、人から尊敬されることはないのです。
人としての道にそむくこと
人として守らなければならないこと、つまりは社会人としての常識やモラルを守らないことを「人としての道にそむく」と言います。
「あの人は、常識が通じない人なの」なんていう時があります。
常識外れの素晴らしい人間であれば良いのですが、常識を守らない嫌われ者であっては「不徳」そのものになってしまいます。
常識の中には、人としての礼儀も含まれています。
何かで助けてもらったり援助をしてもらったりしたら、必ずお礼の言葉は伝えるはずです。
しかし、「余計なことをしてくれて」などと言わんばかりにムツっとされてしまうと、「何この人は!お礼のひと言も言えないの!」と怒りがこみあげてきます。
人から借りた物はすぐに返す、汚れてしまったらキレイに拭いてから返すなどは常識です。