この「不徳」という言葉は、意外にもよく耳にする言葉です。

どのような時かというと、政治家や芸能人が不祥事を引き起こして、会見を開く時のいつものフレーズです。

このような不祥事を招いてしまったのは「すべて私の不徳の致すところです」などと神妙な態度で詫びるのです。

何かがバレルと「不徳の致すところ」で切り抜けようとしているかのようです。

「不徳の致すところ」と言うと、やったことは不誠実なことなのですが、何か誠実に謝っているように見えるのです。

会見では、記者の質問に何度も「不徳の致すところ」を繰り返す人もいますが、多用するとなんだか人を小馬鹿にしているようで嫌味にも聞こえるものです。

ここという時に、使うのがいいと思いますがいかがでしょうか。

そもそも、「不徳の致すところ」という意味は、自分の不徳のために引き起こしたことで、失敗や不都合があったときに謝罪の意味で使われるフレーズなのです。

では、「自分の不徳」とはどのようなことなんでしょう。

辞書には、「不徳」とは身に徳の備わっていないこと。

人の行うべき道に反すること、不道徳の意味です。

別の言い方をすると、「社会人としての常識やモラルから踏み外してしまうことです。

警察に追われるような犯罪を犯したわけではありませんが、周りの人からは後ろ指を指されてしまうことになるようです。

有名な芸能人なら不倫の噂が立つと、きっと雑誌記者が四六時中張り付いてスキャンダルの現場写真を狙っているはずです。

不倫やら偽装などがバレてしまった時に、それは「自分の不徳」ということになるようです。

しかし、仕事で単純なミスをしてしまったときに、つい「不徳の致すところ」などと言い訳をしてしまうと、「何が不徳だ!おまえの不注意だろ!」と怒鳴られてしまいそうです。

言い訳に何でも「不徳」を出しては、常識が無いようにも思われます。

「不徳」とは?

「不徳」について改めて考えてみます。

「不徳」とは徳が無い状態で、「人の道」に外れたことです。

「人の道」とは、人として生きていく上で守るべき事柄のことです。

人として踏み行うべき道筋のことなのです。

人として生きていく上で守ることを守らなければ、「人に道に外れる」とか「人の道を踏む外す」などと表現します。

芸能人の中で不倫がバレてしまって、TVや雑誌で報道されてしまうことがあります。

芸能通の人なら、「ああ、あの人もそうだった」などと何人もの芸能人を思い出すはずです。

いつまでたっても、不倫という行為はなくならないものです。

この不倫という行為は、「人の道を踏み外した」行為なのですが、人の道を外れるという意識も薄くて、何か気軽に不倫に手を出してしまう人が多くなったような気がします。

もちろん、不倫は人の道を踏み外してるので、社会的な制裁は受けるようです。

不倫が原因で離婚になるケースが増加しているようです。

すぐに女性に手を出してしまうケースだけでなく、公金を扱う仕事を任されていると、うまくごまかしてお金を横領するという事件も多いようです。

ギャンブルで借金が重なり、返済に困った挙句に横領するというケースです。

中には、横領したお金で豪遊する人間もいました。

横領した金額も数億円にもなるような事件もありました。

これなども、人の道を踏み外した行為であると言えます。

人の道を踏み外した行為のことを「不徳」と言うのです。

「不徳の致すところ」とは、こうした人の道を踏み外した行為をしてしまって、世間にバレてしまった場合に釈明する時のフレーズになってしまっています。

「不徳」にひと言で、細かいことを説明するまでもなく切り抜けることもできるからです。

余計なことを喋ってしまって、そこからまた痛くない腹を探られることにならないように、「不徳」という言葉で包んでしまうのです。

そういう不思議な言葉でもあるように思われます。

徳の足りないこと


「徳」について考えると、なにか哲学的な思想の世界に入ってしまいます。

ここではそんな難しいことは別にして、もっとわかりやすい言葉で表現しましょう。

「徳」という漢字は、行人偏(彳)と直(なお)と心に分解できます。

「直き心(なおきこころ)」で行う行為なのです。

自分が徳という風に認識しなくても、直き心すなわち真心で他人のことを思いやることなのです。

「あの人は立派な人だ」などという時には、その人は「徳」を備えた人であるといえます。

「技術は教えることができるし、習うこともできる。

けれども、「徳」は教えることも習うこともできない」(松下幸之助)と言われています。

「徳」を高めるコツなどもありません。

「徳とは心で会得し、それを実践すること」とも言われます。

このように、姿かたちがハッキリしない「徳」ですが、多くの人の中には「あの人は得のない人だ」と言われる人もいます。

つまり、立派な人ではないと言われているのです。

「徳」が足りないと誰からも好かれない人になってしまいます。

「人徳がない人」などとも言われます。

では、「徳」の足りない場合について考えてみました。

徳が備わっていないこと

世間を見渡すと、本当に徳があるなあと思われる人など、そうザラにはいないものです。

うさん臭い徳に見せかけた人もいるようで、人を見る目も養わないと行けないようです。

逆に、あなたの周りに徳が備わっていない、つまり徳の無い人がいるとしたらどのような性格の人なのでしょうか。

ちょっと考えてみました。

私が思うには、自己中心で他人に気配りしないタイプの人と思います。

自分の欲望だけで突っ走り、他人のお金や持ち物を見るとこそっと手に入れたくなってしまうようです。

見つからない、バレないと思い込んでいるところが「徳」が備わっていないところでしょう。

公金や自治会の財産につい手を出してしまうこともあります。

他人のお金であれば惜しげもなく使い込むのですが、自分で貯めたお金には未練があって、ケチな性格のようなのには笑ってしまいます。

徳が備わっていない人は、ひねくれて自分勝手な考えも持っているようです。

だから、公金を横領したリ自治会費を使い込んでも、「不徳を致した」理由を利己的に説明するのは得意なようです。

また、徳が備わっていないと、感情的にも不安定で、気分にはムラがあるようです。

ある時には嬉しそうに笑っていたと思うと、都合の悪いことを指摘されたりすると烈火のごとく怒りだすのです。

最近の話題になった人の中でも、レスリングの指導者、アメフトの指導者、日本アマチュアボクシングの指導者など、思いつく人だけを挙げても徳が備わっていない人ばかりだなあと思ってしまいます。

徳が備わっていないと、人から尊敬されることはないのです。

人としての道にそむくこと

人として守らなければならないこと、つまりは社会人としての常識やモラルを守らないことを「人としての道にそむく」と言います。

「あの人は、常識が通じない人なの」なんていう時があります。

常識外れの素晴らしい人間であれば良いのですが、常識を守らない嫌われ者であっては「不徳」そのものになってしまいます。

常識の中には、人としての礼儀も含まれています。

何かで助けてもらったり援助をしてもらったりしたら、必ずお礼の言葉は伝えるはずです。

しかし、「余計なことをしてくれて」などと言わんばかりにムツっとされてしまうと、「何この人は!お礼のひと言も言えないの!」と怒りがこみあげてきます。

人から借りた物はすぐに返す、汚れてしまったらキレイに拭いてから返すなどは常識です。

混雑する電車内では、お年寄りや身体の不自由な人には席を譲ることなどもマナーとして行うことです。

しかし、足を投げ出して席にふんぞり返っている若者を見ると、徳を身に付けるには時間がかかるものだと感じるのです。

さらには、「恩を仇で返す」ということわざがあるように、恩を受けても恩返しをするどころか、かえって恩人に害を与える人もいます。

大変世話になった人に攻撃するようなことをするのです。

とんでもないことで、これを「人としての道にそむくというのです。

背徳

「背徳」は、道徳や倫理から外れる行為を意味します。

TVや雑誌で話題になる「不倫」はこの典型的な行為なのです。

社会人としての道徳や倫理から外れた快楽を求めている行為なのです。

この道徳や倫理から外れることで、誰にも知られないこと、誰にもバレないことを期待してドキドキしながら不倫を続けることで、後ろめたさ(背徳感)を楽しんでいるのです。

このような不倫という行為以外にも、日常の生活でたくさんあります。

例えば、未成年のくせに隠れてちょっとタバコを吸ったり酒を飲んだりして背徳感を味わいます。

しかし仲間で集まって酒を飲んで騒いだり、大麻などをみんなで回し飲みするような事態になれば、背徳という行為だけではなくて、法律に違反する犯罪となってしまいます。

もし見つからなくても、罪を犯したこと、悪いことをしたと言う罪悪感に苛(さいな)まれることになるのです。

法律を破らないが、道徳や倫理から外れること、いわゆる背徳行為はよく見られるようになってしまいました。

「不徳」の類語や関連語


「不徳」とは、辞書で調べると

①徳の足りないこと。徳が備わってないこと。

②人としての道にそむくこと。背徳。となっています。

そして、自分の「不徳」が原因で好ましくない事態に陥ってしまった時に、「すべて私の不徳の致すところです」と謝罪するのです。

「不徳を致した」人達と言えば、高級官僚でありながらセクハラ発言を繰り返したリ未成年の女性と交遊したり、有名なお寺の管主が不適切な女性関係で問題を起こしたり、県知事が複数女性に金銭を渡して遊んでいたりと列挙するとキリがありません。

「不徳」を致さなければ良いのですが、一時の快楽の夢を追いかけて、気が付くと人の道を踏み外してしまっていたということなのです。

「不徳」に至らないためには、しっかりと善行を行うことです。

善行を重ねていけば、徳を積むことができます。

徳の中で最も尊いのは「陰徳」ということです。

人に知られないように行う善い行いのことを「陰徳」というのです。

「陰徳」を積むことが徳を積むことになり、そこで積んだ徳が巡り巡って自分に返ってくることになるのです。

「情けは人の為ならず」ということわざがあるように、見返りを求めない善い行いは、いずれ自分にもどってくるということなのです。

人としての道を外れずに、徳を積んで行けば「人徳」のある人間に変わっていくのです。

徳の無い(不徳の)人生は、生きるための魅力のない寒々とした人生になってしまいます。

できるだけ徳を積んで、不徳にならないように生きたいものです。

不徳の類語としては、堕落した行為などを表現する「腐敗、堕落、自堕落」、道徳上の不徳は「貧汚、黄白、汚職、退廃、贈賄」、清く正しくない行為は「不道徳、不義、淫風、不倫」などがあります。

墜落した、腐敗した、退廃した行為や実践

堕落とは、生活が崩れて品行が卑しくなる状態。

節操を失って身を持ち崩すことになる時です。

生ものをそのまま放置しておくと腐ってしまいます。

色も外観も変わってしまい、悪臭が漂うようになります。

こんな状態を腐敗と言いますが、人間も規則正しい生活をしていないで放置していると、心が乱れて腐っていきます。

正常な判断ができなくなって、周りの人に迷惑をかけてしまうことになるのです。

心の腐敗が進むと、社会に迷惑をかけていることすら分からなくなるようです。

頑丈に作った家屋でも、年月が過ぎるとあちこち傷んできます。

歴史のあるお寺でも、手を入れないで放置していると衰えて廃れていきます。

いずれは荒れ果てて崩れてしまいます。

修理せずに放っておくと廃墟になってしまいます。

人間の心も絶えず磨いておかなければ、道徳的な気風が廃れてしまい、健全な精神を失い退廃してしまうのです。

このように、不徳によって健全な生活が乱れてしまうと、精神的に堕落や腐敗、退廃した行為を行ってしまうようです。

気を付けたいものです。

自堕落(じだらく)

自堕落とは、簡単に言うと「ふしだら」なことです。

この言葉は、だらしないことをする人に向かって投げつける言葉です。

「あなたは、なんてふしだらな人間なの!」と相手を軽蔑する時の言葉です。

ふしだらとは、けじめがなくだらしないことです。

また、品行が悪くて身持ちが悪いことでもあります。

身持ちが悪いとは、身の持ち方すなわち異性との交際に置いて品行が悪いことを意味します。

異性関係がルーズなことです。

このように、「自堕落」とは、人間関係においてけじめがなく品行も悪いことで、異性関係でも問題を起こすような正確のことです。

自堕落になる要素は、日常の良い生活習慣ができなくなっていることです。

家に帰るとダラダラとTVを見て、おやつを食べながらごろ寝をしている生活から抜け出せなくなっているのです。

すると、悪友が誘いに来て遊びほうけてしまうのです。

自然に品行も悪くなり、身持ちも悪くなってしまうのです。

法律を犯す様な行為をしてしまっては取り返しがつかなくなるのです。

こんな状態は、まさに「自堕落」なのです。

道徳上の墜落

「不徳」の意味は、道徳上の堕落を指すこともあります。

「道徳」の話をしだすと長くなるので要点だけを短く解説します。

というのも、「道徳」というのは人によっていろんな捉え方があるのです。

人の数だけ道徳があるようにさえ感じられるのです。

一般的な「道徳」の概念は、人々が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。

外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働くものなのです。

しかし、ここで言う「善悪」というもの、つまり「これはして善い(善だ)」という時と「これはしてはいけない(悪だ)」という時の区別が曖昧なのです。

絶対的な「善悪」というものが存在していないからです。

「これはしても善い」と自分には善いことでも、相手にとって悪いことになることがあります。

相手を苦しめたり傷つけたりすることは悪ですから、自分には「善」で相手には「悪」ということが起こるのです。

貧汚(たんお)

「貪汚」とは、欲が深くて心が卑しいことです。

「貧」という漢字の意味は、「まずしい」、「財産が少ない」ということですが、もう一つ「知識が不足している」、「頭の働きがにぶい」という意味もあります。

「汚」とは「きたない」「けがす」「けがらわしい」「よごす」などと、「粗暴」「ぞんざい」「下品」「欲が深い」などの意味もあります。

これらの「貧」と「汚」の漢字が重なってできた「貪汚」とは、どのような性格なのでしょうか。

それは、例えば「不正な利益を得るために地位や信用を利用したり、正直さや誠実さを欠いて裏取引に精を出して贈収賄行為を行ってしまう」ような性格でもあるのです。

心の腐敗が進行してしまっている状況です。

道徳の欠如で飽くことを知らないような金銭欲が強いのも特徴です。

このような人を「貪汚な人」と言います。

黄白(おうびゃく)

「黄百(おうびゃく)」とはあまり聞きなれない言葉です。

もちろん「こうはく」とも読みます。

黄色と白色のことで、これは「金と銀」を表して、これを転じて「金銭」の意味もあります。

貪欲に金銭にこだわる人のことを指します。

「黄白を愛しむ」とはお金にこだわるという意味です。

黄百(おうびゃく)の類語としては、先ほどの「貪汚」や「腐敗、汚職、悪徳、贈収賄」などがあります。

黄白(こうはく)という場合は、不祝儀袋の色を表すこともあります。

関西地方では葬儀は「黒白」で法事は「紅白」の水引が使われます。

関西地方では、黄白というと法事の水引を連想する人が多いかもしれません。

汚職(おしょく)

議員や公務員が、自分の立場を利用して特定の事業者を優遇して、見返りに金品を手にすることですが、この手の汚職は発覚してTVやマスコミに大きく取り上げられることがあるようです。

優位な立場を利用して悪事を働くことは、誠に不徳な行為と言わざるを得ません。

正しく、良い行為の基準と一致しない性質

道徳に反した行為は、清く正しい生き方とは異なります。

道徳の基準とは一致しない性格です。

しかし、正しく良い行為ではなくても、法律に反する行為でなければ、法的に制裁を受けることはないのです。

ただし、道徳に反することは、周りの人からは疑いの目で見られることは間違いありません。

不道徳

「不道徳」とは、道徳に反することで、正しく良い行為とは言えません。

しかし、みんながそんな正しい行為ばかりしているはずはありません。

時々は「不道徳」なことも考えたり経験したりしているはずです。

この世で生きていくからには、正しくないことに巻き込まれることだってあるはずです。

そして後悔しては悩んでしまうのです。

男と女のふとした出会いから発展する不倫などは、そのような不道徳な行為と言えます。

不道徳だと自覚しても、それ以上に心がときめくのです。

不道徳を完璧に制御することなどできないようです。

一説では、既婚者の約3割は不倫経験があるとの調査結果があります。

この約3割の既婚者は、不道徳と分かっていても実行してしまうのです。

バレないと思っているのでしょうか。

しかし、不道徳は時代や文化、地域によっても考え方は異なっています。

道徳と同じように不道徳も明確に説明できないからです。

不義

「不義」とは、人として守るべき道に外れることです。

そして、男女が道に背いた関係を結ぶこと、密通をはたらく、不倫をするということです。

悪徳

「悪徳商法」という言葉が流行りました。

道徳に反するような行為でお客様を騙して高額な料金を奪い取るような商法です。

販売者が不当な利益を得るような、社会通念上問題のある商売の方法なのです。

「悪徳」とは、悪い行いで、人の行うべき正しい道に背いた不正な行為なのです。

連想される言葉

「不徳」で連想される言葉はいろいろとあります。

至らぬ

「至らぬ」とは、配慮が不十分で行き届かないことです。

至らぬ時には「未熟者!」と言われることもあります。

このように、至らないという理由は、未熟であることと注意不足であることの二つのことです。

不届き

配慮や注意の足りないことで、不行き届きのことです。

そこで、しきたりや法に背いた行動を取る者を「不届き者」というのです。

時代劇で、所属する藩のしきたりを守らなかった時に、藩の上役から「不届き者め!」と一喝される場面があります。

不届き者とは、無礼者、無法者、道理の分からぬ奴、不心得者、などということです。

節度がない

「節度を守ってください」などと注意されることがあります。

節度とは、言行などが度を過ぎずに適度であることです。

ちょうどいい程度のことです。

「節度を守って」とは、振る舞いはほどほどにしてというニュアンスです。

「不徳」のビジネスでの使い方

「不徳」という言葉を、ビジネスで使う時の使い方をまとめました。

ビジネスにおいて失敗やミスをし謝罪をする際に

ビジネスで失敗をしてしまった時に、すぐに謝罪することが必要です。

ビジネスのシーンでは、簡単に「どうもすみませんでした」と言うだけでは重みが無く、何か重大な原因が隠れているのではないかと相手に不安と不信感を持たせてしまいます。

そこでよく使われる言葉が「不徳」という言葉です。

つまり、自分が道を外してしまったと反省をしながら謝罪するのです。

自分の配慮の無さを真摯に謝る時の言葉なのです。

「不徳のいたすところ」というフレーズを使う

ビジネスにおいてミスをしたり問題を起こしてしまった時の謝り方のフレーズとしては、「不徳の致すところです」が多いようです。

政治家や芸能人が不祥事を起こして謝罪する時には、必ずと言ってよいほどこのフレーズを使うようです。

「このたびの事態は、わたしの不徳の致すところです」などと謝罪するのです。

早急に相手側へお詫びをする

相手に迷惑をかけてしまった時には、早々にお詫びを言うことが必要です。

誠意をもって謝罪することで、もう一度チャンスをいただけるように

自分が犯した間違いに対してお詫びを言う時には、誠意をもって謝罪する必要があります。

キチンとお詫びをしておいて、もう一度チャンスをいただけるようにしたいものです。

そんな時に、自分のせいでこんな事態に陥ってしまったことに対する反省と心からの謝罪を伝えるには、「不徳の致すところです」がよく使われます。

例文

「不徳の致すところです」の使い方の例文を以下にまとめました。

多大なご迷惑をおかけし、私の不徳の致すところです。

自分が未熟であったために問題を引き起こした時などでは、自分の未熟を詫びます。

「多大なご迷惑をおかけし、わたしの不徳の致すところです」となります。

自分のミスにより招いたこの度の事態、不徳の致すところです。

自分がうっかりしていてミスをしてしまった時にも、このように謝ります。

「自分のミスにより招いたこの度の事態、不徳の致すところです」となります。

「不徳」の謝罪文での使い方

「不徳の致すところ」の「致す」とは、「引き起こす」とか「〇〇をする」という意味です。

ミスをしてしまったことや失敗について簡単に述べてから「不徳の致すところ」と繋げると謝罪文も分かりやすいのです。

「不徳の致すところです」とし、簡潔に改まった言い回しを

・自分が知らなかったのに知ったかぶりをして、上司に迷惑をかけてしまった時などには、「わたしの不徳の致すところです」と簡潔に謝罪するのです。

・同じ失敗を繰り返してしまったことに対しての謝罪です。

「同じ失敗を繰り返してしまいました。わたしの不徳の致すところです」

「この度の失敗は、すべてわたしの不徳の致すところです」

謝罪時に時間をおかず使用

自分のせいで何か問題が発生してしまったと分かったら、すぐに上司に謝罪をするのです。

そんな時には、グダグダと言い訳するよりも、まずは「わたしの不徳の致すところです」と言います。

謝罪時に時間をおかずに使用します。

申し訳ありませんを付け足す

丁重に謝罪する時には、「わたしの不徳の致すところです。

申し訳ございません」と申し訳ない気持ちも付け足すことで真摯な気持ちを表すこともできます。

特に、このミスが原因で、自社だけでなく相手先にも多大な迷惑をかけてしまった時などは、「不徳の致すところ」だけでは納得しないはずです。

真摯に反省をして謝罪をしているように「申し訳ございません」とか「申し訳ありません」などを付け加えてください。

謝罪そのものを表す言葉も

謝罪の理由を簡潔に付け足すことは、相手に分かりやすいものです。

ミスしたことも理解していないのではと勘ぐられないように、注釈を入れることもあります。

「送り先を間違えてしまい納期が遅れてご迷惑をおかけしました。

不徳の致すところです」などとなります。

自社で保管していた個人情報が漏れてしまったことが発覚して時など社会的に問題になる時には、真摯な謝罪が必要です。

「この度の個人情報の漏えい問題に関しましては、全て私どもの不徳の致すところです。

大変申し訳ございません」などとなります。

気持ちがより伝わるように

「不徳の致すところ」とは、自分の徳が足りなくて引き起こしたことなのです。

つまりは、誠意を込めていなかったということで、それを充分に反省しておいて謝罪します。

「わたしの不注意がもとで問題が起こりました。

不徳の致すところです」

例文

以下に例文をまとめました。

この度の不祥事は、私の不徳の致すところです。申し訳ございません。

自分が十分に監督していなかったために、工場からの商品に欠陥が発生して問題になった時などです。

相手先や消費者にも発覚してしまい、上司から叱責されます。

それに対して「この度の不祥事は、私の不徳の致すところです。申し訳ございません。」となります。

私の不徳の致すところでおり、反省しております。

社内的に問題があると分かったうえで行った不倫ですが、ある時にそれが発覚して社内でも話題になりました。

そんな時に上司から呼びつけられて注意されます。

そんなシーンで、「私の不徳の致すところであり、反省しております」などと謝罪します。

信頼していた経理の部下の人間が、会計を不当に操作して資金を流用していたことが発覚して社内でも問題になりました。

自分の管理不行き届きのせいです。

自分の未熟さを反省して謝罪します。

「この度の不祥事は私の不徳の致すところです。二度と同じことを引き起こさないように注意いたします。申し訳ございません。」

ビジネスや謝罪で間違った使い方をしないように

自分の徳が足りなかったために引き込した不祥事に対しては、「私の不徳のいたすところ」と謝罪するのです。

文書で謝罪する時、メールで取り急ぎ謝罪する時、謝罪会見の時など、「すべて私の不徳の致すところです」と表現するのです。

・「今回の不祥事は、全て私の不徳の致すところでございます」

・「噂の通り、不倫をしたことについては反省しております。わたしの不徳の致すところです」

・「コンピューターへの入力ミスでたいへんご迷惑をおかけしました。この度の問題は、すべて私どもの不徳の致すところです。申し訳ございません。」

などと、かしこまった謝罪の場面で使われます。

「不徳」とは、徳が足りていない時(未熟、うっかりミス)と、人の道に反する行為をした時(不道徳)に分かれます。

それを念頭において謝罪文を考えます。

しかし、この「不徳の致すところ」とは形式ばった表現ですので、仲間うちでこんな言葉を伝えたら、ちょっと仰々しく感じてしまいます。

使う相手にも配慮すべきと思います。

しかも、もともとはコンプライアンス違反の場合に使われることが多く、商品の欠陥隠し、重大事故隠し、談合事件などの法的に問題が起こった場合に使われるものです。

つまり道徳に違反した時です。

軽いミスだけで周りに影響しないような事態では、むやみに使う必要がないフレーズでもあります。

このようなフレーズがあまり使われるような事態にならないことを祈るばかりです。