頑丈に作った家屋でも、年月が過ぎるとあちこち傷んできます。
歴史のあるお寺でも、手を入れないで放置していると衰えて廃れていきます。
いずれは荒れ果てて崩れてしまいます。
修理せずに放っておくと廃墟になってしまいます。
人間の心も絶えず磨いておかなければ、道徳的な気風が廃れてしまい、健全な精神を失い退廃してしまうのです。
このように、不徳によって健全な生活が乱れてしまうと、精神的に堕落や腐敗、退廃した行為を行ってしまうようです。
気を付けたいものです。
自堕落(じだらく)
自堕落とは、簡単に言うと「ふしだら」なことです。
この言葉は、だらしないことをする人に向かって投げつける言葉です。
「あなたは、なんてふしだらな人間なの!」と相手を軽蔑する時の言葉です。
ふしだらとは、けじめがなくだらしないことです。
また、品行が悪くて身持ちが悪いことでもあります。
身持ちが悪いとは、身の持ち方すなわち異性との交際に置いて品行が悪いことを意味します。
異性関係がルーズなことです。
このように、「自堕落」とは、人間関係においてけじめがなく品行も悪いことで、異性関係でも問題を起こすような正確のことです。
自堕落になる要素は、日常の良い生活習慣ができなくなっていることです。
家に帰るとダラダラとTVを見て、おやつを食べながらごろ寝をしている生活から抜け出せなくなっているのです。
すると、悪友が誘いに来て遊びほうけてしまうのです。
自然に品行も悪くなり、身持ちも悪くなってしまうのです。
法律を犯す様な行為をしてしまっては取り返しがつかなくなるのです。
こんな状態は、まさに「自堕落」なのです。
道徳上の墜落
「不徳」の意味は、道徳上の堕落を指すこともあります。
「道徳」の話をしだすと長くなるので要点だけを短く解説します。
というのも、「道徳」というのは人によっていろんな捉え方があるのです。
人の数だけ道徳があるようにさえ感じられるのです。
一般的な「道徳」の概念は、人々が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。
外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働くものなのです。
しかし、ここで言う「善悪」というもの、つまり「これはして善い(善だ)」という時と「これはしてはいけない(悪だ)」という時の区別が曖昧なのです。
絶対的な「善悪」というものが存在していないからです。
「これはしても善い」と自分には善いことでも、相手にとって悪いことになることがあります。
相手を苦しめたり傷つけたりすることは悪ですから、自分には「善」で相手には「悪」ということが起こるのです。
貧汚(たんお)
「貪汚」とは、欲が深くて心が卑しいことです。
「貧」という漢字の意味は、「まずしい」、「財産が少ない」ということですが、もう一つ「知識が不足している」、「頭の働きがにぶい」という意味もあります。
「汚」とは「きたない」「けがす」「けがらわしい」「よごす」などと、「粗暴」「ぞんざい」「下品」「欲が深い」などの意味もあります。
これらの「貧」と「汚」の漢字が重なってできた「貪汚」とは、どのような性格なのでしょうか。
それは、例えば「不正な利益を得るために地位や信用を利用したり、正直さや誠実さを欠いて裏取引に精を出して贈収賄行為を行ってしまう」ような性格でもあるのです。
心の腐敗が進行してしまっている状況です。