そこにゆけば「絶対的な強さ」を持ち合わせている「自信」の持ち主ならば、ちょっとやそっとのちょっかいやけなし方ではびくともしないかも分かりませんね。
しかし、世の中の人間で「絶対的な自信」を持つ人なんてほんの数えるくらいしかいないでしょう。
ということはいきなり自分の自信を揺るがせるようなけなされ方をすれば誰だってそれは「屈辱」という思いで心に刻み込まれるという訳です。
自分にとって「自信」のあったはずのものが実はそうではなかった。
この現実を突きつけられることが最も「屈辱」という形であなたの心を蝕んでしまうのでしょうね。
暴言を吐かれた
「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての3つ目は「暴言を吐かれた」です。
「暴言」は悪意の塊であり、相手の事を徹底的に口頭によって攻撃する一種の「拷問」のごときむごいやり口です。
そのような暴言を受けてしまったら誰でも心穏やかに出来るはずがありません。
特に昨日まで仲良くしていた友人や後輩、同僚からいきなり「暴言」を吐かれてしまったら、自身のプライドもひどく傷つけられ、多大なる「屈辱」を受けた感じになってしまうでしょう。
「暴言」は相手の立場や人間性など全てのものを否定し、相手の人格を大勢の前で地の底に叩き落す、恐ろしく悪魔の所業なのです。
そんな仕打ちをされて黙っていることのできる人間は少ないでしょう。
しかし、暴言に対して暴言で返していたらあなたは相手よりも野蛮な人間に成り下がってしまう可能性もあります。
ここは一時の「屈辱」をかみしめながらも我慢するしかないかもしれませんね。
余計な事を言った者が「負け」という事です。
パワハラを受けた
「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての4つ目は「パワハラを受けた」です。
「パワハラ」、つまり自分よりも役職上、上の立場の者が、その立場、権威を盾にして自分よりも立場の低い相手に対して人格攻撃を行う事を意味します。
パワハラを行っている方は、自分が何を言っても許されるかのような錯覚に陥り、周囲の制止も耳に入らないのか、ハラスメントの威力はますますひどくなるようです。
このような「ハラスメント」系の暴言や感情にまかせた言動を多くの面前で行われたら、人は例えようのない「屈辱感」に見舞われてしまうのです。
では、パワハラを受けた際の人々の心情というものを探っていきましょう。
皆の前で怒る
同じパワハラでも、1対1で言われているならば、まだ何とか言われている方も自制できます。
それはこの行為が他の誰にも目撃されていないからです。
人間というものは、自分が他者から叱られたり怒られたりしている現場を誰かに見られる事を非常に嫌います。
ところがパワハラを行う方は、自分の権勢を誇示したいからか、決まりきったかのように大勢の面前で個人攻撃を初めて相手を罵倒することに終始します。
この「皆の前で怒る」という行為がどれほど怒られている人間の良心やプライドを傷つけているか、全く認識できていないようなのです。
「パワハラ」というものを好んで行う人間に限って「マネジメント能力の欠如」という事実を理解できていない人間が多いのです。
相手に屈辱感を与えてしまったら、どれだけ管理者である自分に損害が被られるか。
それを理解できていないのですから、そんな人間を管理職に据えているその会社。
先行きが見える、というものでしょう。
結婚はまだしないの?とわざらしく聞いてくる
パワハラの代名詞的発言がこの手の発言でしょう。
皆のいる前でわざわざ、「結婚はまだしないの?」といかにも善人ぶった顔をして発言してくる輩。
恐らく発言している方の人間は、この発言内容のどこがいけないのか、まるっきり分かっていないのでしょう。
むしろ、相手の事を気遣った意味合いで聞いてきているのかも知れません。
そこのところが恐ろしいほど神経が「鈍感」であり「無神経」であり「デリカシーがない」としか言いようがないでしょうね。
「適齢期を過ぎてしまって、結婚していないのはあなたから言われなくても十分、分かっている。
それは自分にとって非常に深刻な悩みであり弱みであるのだ。
それを大勢の人の前でシャアシャアと言い放つなんて、こいつ一体どういう神経しとんじゃ!」というくらい、腸の煮えくり返る思いがあなたの心の中に充満している事でしょう。