皆さんは今までの人生を振り返って、「屈辱」というものを受けたり感じたりしたことはありますか?

「全くない」という人もいらっしゃるでしょう。

それはそれで非常に目出度いことだと思います。

屈辱なんて経験せずに済むのであればこの先もこれからも永久に受けたくないでしょうからね。

ところが世の中を生き抜く人たちの過半数以上は何らかの「屈辱」を受けた経験がおありの方が圧倒的に多いのではないでしょうか?

この「屈辱」、思い出しただけでも腹が立ってくるでしょうが、それだけに今後、このような思いをせずにすむよう、心を強化できたらどれほどいいでしょう。

では、今回は「屈辱」について多方面からスポットを当てて研究していってみたいと思います。

屈辱を受けるのってむかつきますよね!

皆さん、屈辱を受けた時って、どういう気持ちになりますか?

間違っても楽しい気持ちにならないことは間違いないでしょう。

恐らくほとんどの方が「ムカつく」か「腹が立つ」かのどちらかでしょう。

そしてその後には尋常ならざる「怒り」がこみあげ自分に屈辱感を味わせた人間を心底、憎いと思ったりするかもしれませんね。

このように屈辱を受けてしまうと人間、ポジティブな発想にはなかなかなれません。

逆に誰かを呪ったり、文句や悪口を言ってしまうなど「ネガティブ発想」に拍車がかかってしまいます。

「屈辱」というものはそれくらい人間に「負」の感情を与えてしまう恐ろしい「仕打ち」と言えるものなのでしょう。

本当に出来る事なら今もこの先も味わわずに済むのならそれに越したことはないでしょうね。

屈辱を受けた時はどんなとき?

それでは実際に屈辱というものを受けた時の状況や場面、その時の気持ちの在り様などについて考えてみましょう。

恐らく想像するだけで吐き気を催すような場面が出てくるでしょうね。

大勢の前で馬鹿にされた

「屈辱を受けた時はどんなとき?」に対しての最初の1つ目は「大勢の前で馬鹿にされた」です。

そう、このケースが最も多く、また最も恨み骨髄に陥るものではないでしょうか?

人間という生き物は、どんな身分であれどのような性格であれ、少なからずとも「プライド」や「自尊心」というものを持ち合わせています。

そしてこの「プライド」や「自尊心」というものは何者からも触れられたり貶されたりしたくないもの。

言わば、自分自身の存在意義であり自らの生きていく上においての「分身」のようなものであるのです。

だから、それを1対1の場面で相手から罵られたりされた程度なら(もっともこのケースでも相手が大激怒するときもありますよ)何とか自制心というものを働かせて自分の感情をコントロールして感情を爆発させないよう気持ちを抑え込むことはギリギリ出来るのです。

しかし、その行為を大勢の面前の前でやられたら、もういけません。

あなたが大切にしていた「本心」や「秘密」が公衆の面前で暴かれるのです。

その屈辱感といったら何物にも変えられないほど腸の煮えくり返る思い出いっぱいになる事でしょう。

このように馬鹿にされる中身が何であれ、大勢の前でそれをやられてしまうと人間の我慢の限界は一気に崩壊し、「屈辱」というものを感じてしまうのです。

とにかく相手の意思に反した行為、特に「馬鹿にする」という行為は慎みましょう。

一生、その人から恨まれ、下手をすると物凄い復讐を喰らってしまう可能性もありますからね。

自信があったものをけなされた

「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての2つ目は「自信があったものをけなされた」です。

人間の持つ自信というものは案外脆いものです。

絶対的な強さを持つ「自信」というものはごく一部の人間にしかないのではないでしょうか?

しかしながら「自信」というものは自分自身の生きる理由を裏付けてくれる、他人が入り込むことは許されない神聖なる「聖地」のような場所でもあります。

そんな「自信」というものをこともあろうか、堂々と面と向かってけなされてしまったら…。

並の人間ならば烈火の如く怒り狂うに違いありません。

そこにゆけば「絶対的な強さ」を持ち合わせている「自信」の持ち主ならば、ちょっとやそっとのちょっかいやけなし方ではびくともしないかも分かりませんね。

しかし、世の中の人間で「絶対的な自信」を持つ人なんてほんの数えるくらいしかいないでしょう。

ということはいきなり自分の自信を揺るがせるようなけなされ方をすれば誰だってそれは「屈辱」という思いで心に刻み込まれるという訳です。

自分にとって「自信」のあったはずのものが実はそうではなかった。

この現実を突きつけられることが最も「屈辱」という形であなたの心を蝕んでしまうのでしょうね。

暴言を吐かれた


「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての3つ目は「暴言を吐かれた」です。

「暴言」は悪意の塊であり、相手の事を徹底的に口頭によって攻撃する一種の「拷問」のごときむごいやり口です。

そのような暴言を受けてしまったら誰でも心穏やかに出来るはずがありません。

特に昨日まで仲良くしていた友人や後輩、同僚からいきなり「暴言」を吐かれてしまったら、自身のプライドもひどく傷つけられ、多大なる「屈辱」を受けた感じになってしまうでしょう。

「暴言」は相手の立場や人間性など全てのものを否定し、相手の人格を大勢の前で地の底に叩き落す、恐ろしく悪魔の所業なのです。

そんな仕打ちをされて黙っていることのできる人間は少ないでしょう。

しかし、暴言に対して暴言で返していたらあなたは相手よりも野蛮な人間に成り下がってしまう可能性もあります。

ここは一時の「屈辱」をかみしめながらも我慢するしかないかもしれませんね。

余計な事を言った者が「負け」という事です。

パワハラを受けた

「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての4つ目は「パワハラを受けた」です。

「パワハラ」、つまり自分よりも役職上、上の立場の者が、その立場、権威を盾にして自分よりも立場の低い相手に対して人格攻撃を行う事を意味します。

パワハラを行っている方は、自分が何を言っても許されるかのような錯覚に陥り、周囲の制止も耳に入らないのか、ハラスメントの威力はますますひどくなるようです。

このような「ハラスメント」系の暴言や感情にまかせた言動を多くの面前で行われたら、人は例えようのない「屈辱感」に見舞われてしまうのです。

では、パワハラを受けた際の人々の心情というものを探っていきましょう。

皆の前で怒る

同じパワハラでも、1対1で言われているならば、まだ何とか言われている方も自制できます。

それはこの行為が他の誰にも目撃されていないからです。

人間というものは、自分が他者から叱られたり怒られたりしている現場を誰かに見られる事を非常に嫌います。

ところがパワハラを行う方は、自分の権勢を誇示したいからか、決まりきったかのように大勢の面前で個人攻撃を初めて相手を罵倒することに終始します。

この「皆の前で怒る」という行為がどれほど怒られている人間の良心やプライドを傷つけているか、全く認識できていないようなのです。

「パワハラ」というものを好んで行う人間に限って「マネジメント能力の欠如」という事実を理解できていない人間が多いのです。

相手に屈辱感を与えてしまったら、どれだけ管理者である自分に損害が被られるか。

それを理解できていないのですから、そんな人間を管理職に据えているその会社。

先行きが見える、というものでしょう。

結婚はまだしないの?とわざらしく聞いてくる

パワハラの代名詞的発言がこの手の発言でしょう。

皆のいる前でわざわざ、「結婚はまだしないの?」といかにも善人ぶった顔をして発言してくる輩。

恐らく発言している方の人間は、この発言内容のどこがいけないのか、まるっきり分かっていないのでしょう。

むしろ、相手の事を気遣った意味合いで聞いてきているのかも知れません。

そこのところが恐ろしいほど神経が「鈍感」であり「無神経」であり「デリカシーがない」としか言いようがないでしょうね。

「適齢期を過ぎてしまって、結婚していないのはあなたから言われなくても十分、分かっている。

それは自分にとって非常に深刻な悩みであり弱みであるのだ。

それを大勢の人の前でシャアシャアと言い放つなんて、こいつ一体どういう神経しとんじゃ!」というくらい、腸の煮えくり返る思いがあなたの心の中に充満している事でしょう。

とにかく「結婚はまだしないの?」とわざとらしく聞いてくる人間、権力を傘にきて上から目線で相手を見下している、典型的な「ハラスメント」人間です。

こういったタイプの人間が職場にもしいるのなら、あなたは相当な覚悟をもって賢く生き抜く必要があるでしょう。

書類で頭を叩かれた

またパワハラ型上司かどうか、見分けるもう一つの手段としてこの「皆の前で、書類で頭を叩く」というものがあります。

「書類で頭を叩かれた」、あなたはされた経験がおありでしょうか?この行為、実は昭和の頃は当たり前のように行なわれていた行為なのです。

営業ノルマを達成できない部下、言われた仕事も満足に出来ない部下、このような社員たちは朝礼や夕方の夕礼の時などに皆の前に立たされて、上司からたっぷりお説教(かなりブラック的な)を食らい、その最中に書類などで頭をコツコツと叩かれるのです。

頭を叩かれる、という行為は出来の悪い人間が師と仰ぐ師匠からでもされることは稀です。

まあ、一昔前なら親が躾の一環としてげんこつで軽く子供の頭を「コツン」とやる程度のものだったはずです。

頭というものは、人間が力いっぱい、叩いたりしたらとんでもない事になってしまいます。

下手をすればそれが原因で救急車で病院に運ばれる、なんてこともあり得るのです。

だから、今の時代、このような行為、絶対にやってはならないのです。

それなのにもしこのような行為が会社の中で横行しているとしたら…。

その会社は早やかれ遅かれ「ブラック企業」というレッテルを貼られてやがて社会から淘汰される存在かもしれませんね。

セクハラを受けた

「屈辱」だと感じるパワハラの最後を締めくくるのは「セクハラ」です。

先程紹介致しました「まだ結婚しないの?」も迷う事無き立派な「セクハラ発言」です。

性的な嫌がらせです。

そこに立場が入ってくるから余計に始末が悪くなってくるのです。

まあ、若かりし時に、昭和の時代を生き抜いてきた企業戦士というものはまず間違いなく「セクハラ」「パワハラ」当たり前の時代を生き抜いてきているのでそれらの発言に対して罪悪感というものがありません。

セクハラ発言を繰り返す人間にそれなりの「ポスト」が備わっているならば尚更かもしれませんね。

「俺が言っている発言内容は、相手の事を心配しているからこそ、言っているんだ」という論理で頭の中が成り立っているようです。

まさしく時代錯誤とはこの事でしょう。

こういった上司は恐らく会社を辞めるまで「ハラスメント」という事の本当の意味を理解しないままに引退していくのでしょう。

考えたら哀れな存在かもしれません。

しかし言われた方は一生、忘れられないくらいの屈辱を味わうかもしれないのです。

それが積もり積もって人生の上でとんでもない逆転現象を起こしてしまうかも分かりません。

とにかく、女性に対して性的な差別発言をする、なんていう行為は人間ならば行ってはならないということを早く気付かなければならないでしょうね。

それが出来ない人間はいつか取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうでしょう。

批判された

「屈辱を受けた時はどんなとき?」についての5つ目は「批判された」です。

「批判」というのは相手の事を真っ向から否定した「超ネガティブ」な姿勢です。

そこには当時者に対する一片の尊敬の念も同情の気持ちも籠っていません。

とにかく相手の事を攻撃して今の地位から引きずり降ろしてやろう、という意思が丸出しなのです。

よって批判された方は、気分が優れるはずがありません。

批判の内容次第によっては告発沙汰にまで発展する可能性もあります。

まさに屈辱の真っ只中に叩き落されるような気分になってしまう訳なのです。

人間というものは周囲の人から良く思われたい、と願うのが一般的です。

嫌われよう、などというダークな発想に立てる人間など一人もいないのではないでしょうか?

それ故、言われもないような中傷記事をネットで流されたりしようものなら、人は大いに怒り、そして屈辱感を味わう訳なのです。

「何で私が言われもない理由で見た事もない人間から批判されなければならないのか!」といった風にです。

今の時代はSNSを通してあっという間に世の中に様々なことを流されてしまいます。

屈辱感を味わされる要素は日常にゴロゴロ転がっている嫌な時代になったものですね。

屈辱を受けた時の感情!


それでは次に参りましょう。

今度は「屈辱を受けた時の感情」についてです。

人は大勢の面々の前で屈辱を受けたらどのような心情になってしまうのでしょうか?

まあ、おおよその察しもつくような感じも致しますが、今一度、頭を整理するためにも触れておぃましょう。

全部で4個のご紹介となります。

悔しい

屈辱を受けた時の感情の1つ目は「悔しい」です。

人から屈辱を受けてしまった時、まず思い浮かぶ発想がこれではないでしょうか。

「悔しい」という思いは、自分が正しいと思っていた信念や考えを公衆の面前でひっくり返され、そのあげく言われもないくらいプライドをズタズタに引き裂かれるような行為をされる事によって起こります。

それならば、そんな余計なプライドを持たずにいたなら、そんな悔しい思いもしないで済むのに。

と単純な疑問をお持ちになる方もいらっしゃるでしょう。

しかしながらそんなわけにはいきません。

それは当事者が人間だからです。

人間の持つ「心」を一切合切「放棄」すればそのような気持ちにも確かにならないでしょうが、それでは人間という生き物の存在意義が失われてしまいます。

人間という生きものは「心」を持ち、最低限でもいいので「プライド」というものを持っていないと生きる目標も持てなくなり「堕落」というものが始まってしまうのです。

だから「プライド」というものには「他者が容易に触れることを禁ずる」というものである、という認識が古くから存在しているのです。

それを平然と公衆の面前で罵倒するのですから、そりゃあ、悔やしさでいっぱいになるのも無理はありません。

人が屈辱を味わう時、必ずやこの「悔しさ」というものがあなたの心の奥底に刻み込まれてしまうでしょう。

恥ずかしい

屈辱を受けた時の感情の2つ目は「恥ずかしい」です。

「恥ずかしい」という思いは容認できる度量が人によってかなり違ってきますね。

つまり笑ってごまかせる範囲のものから、真剣に「恥ずかしい!このままじゃ生きてゆけない!」という思いのものまで、です。

人から屈辱を受けて思う「恥ずかしい!」は恐らく後者のものが該当するでしょう。

「死んでしまいたいくらいの恥ずかしさ」という思いはつまりその人が墓場まで持って行きたい「極秘」にしていた秘密を信頼していた人から世間に公表されてしまったような場面を言うのでしょうね。

人にはそれぞれ他人に言えない秘密が一つや二つはあるものです。

それを本人の了承もなく人前で公表されたらそりゃあ、自分のイメージが大きく壊れてしまい「恥ずかしい!」という思いにされてしまうでしょう。

さて、このような思いをさせられた相手、黙ってはいないでしょうね。

それ相応の「復讐」を屈辱を与えた人間は覚悟するべきでしょう。

逃げたい

屈辱を受けた時の感情の3つ目は「逃げたい」です。

この「逃げたい」という感情、先ほどの「恥ずかしい」と並んで当事者の性格はかなり「大人しめ」と言ってもいいかも分かりません。

人間の性格を大きく分類すれば、温厚な人と攻撃的な人に分けられるかもしれませんね。

屈辱を受けて「逃げたい」という気持ちになる方はもしかしたらこの「温厚」な性格分類に属するのかも分かりません。

もしこれが攻撃的な人だったら、有無を言わさず「怒る」事でしょう。

それをやらずに「逃げたい」と思うのですから、かなり人間が出来ている、と言えるかも分かりませんね。

まあどちらにしても逃げたいと思うくらいの屈辱感も、受けた人にとったら大きな迷惑です。

そんな目に遭わされる事を思えば逃げ出す程度ではすまないかも分かりませんよ。

怒り

屈辱を受けた時の感情の4つ目は「怒り」です。

屈辱を受けた時に感じてしまう感情で最も大きなウエイトを占めるのがこの「怒り」ではないでしょうか?

屈辱を受けた時、瞬時に「恥ずかしい」とか「逃げたい」とかも思うでしょうが、最終的にその人の心に残る感情は「悔しい」と「怒り」です。

自分のそれまで築き上げてきたプラスのイメージを根底から叩き潰すような事をやってくれているわけですから、その被害感情は並大抵のものではないでしょう。

屈辱を受けたら最終的に残るのは「怒り」。

これではその人が屈辱を与えられた人間を恨むのも仕方ないでしょう。

屈辱を受けた時の8個の対処法とは?

それでは次に参りましょう。

今度は実際に屈辱を受けてしまった時の対処法について考えてみましょう。

全部で8個のご紹介となります。

自分の方が大人だと思う

屈辱を受けた時の8個の対処法の最初の1つ目は「自分の方が大人だと思う」です。

要は、相手は子供、自分は大人、と割り切ることです。

この解決法をきちんと会得できたなら世の中に起こるトラブルの8割以上は解決できたも同然と言えるでしょう。

とは言ってもこれが中々難しいのです。

いつかでたっても精神年齢の低い私とて同じ事。

なかなか大人の度量で物事を解決できません。

もし、自分に降りかかってきた屈辱の火の粉を、「相手が幼稚だから勘弁してやろう」という気持ちになれたなら、あなたはもう何も心配の要らない強靭なハートを持った大人、と言えるでしょうね。

私も早くそのような大人になりたいものです。

忘れる

屈辱を受けた時の8個の対処法の2つ目は「忘れる」です。

そう、いちいち気に掛けるから屈辱感が増すのです。

そんなしんどい事を何もいつまでも頭の中にしまっておく必要もないのです。

綺麗さっぱり忘れましょう。

一晩寝たら忘れますよ。

酒の力を借りてもいいです。

とにかくご自身にとって最も相応しい方法を見つけて実行し、屈辱感を忘れてください。

そうしないとこの世知からい世の中,渡ってゆくのは大変ですよ。

無視をする

屈辱を受けた時の8個の対処法の3つ目は「無視をする」です。

相手の挑発に乗るから腹が立つのです。

そして屈辱感を味わうことになるのです。

それならば最初からそんな相手、構う事なく無視すればいいのです。

相手がどれだけしつこく余計なことをやってきてもグッとこらえて無視するのです。

大抵の人間ならばこれで引き下がるはずです。

ただ、中には病的な輩もいます。

あなたが無視したらそれを逆恨みにして余計に変な事をやってくる者も中にはいます。

相手の出方をじっと観察して冷静な反応を行いましょう。

下手をすると警察沙汰になるような厄介者もいますからね。

美味しいものを食べる

屈辱を受けた時の8個の対処法の4つ目は「美味しいものを食べる」です。

屈辱を受けてイライラしている時は、頭の中を別の事に変換しましょう。

目の前に美味しいものを並べるか、大好きな料理を置いてあるお店にいってたらふく、楽しみましょう。

人間、食欲を満たしたらそれまでの鬱積していた思いやクヨクヨしていた負の感情もいっぺんにどこかへ吹き飛んでくれます。

屈辱を味わったのなら美味しい食べ物を味わいましょう。

すぐにあなたの気持ちは落ち着きますよ。

ストレス発散する

屈辱を受けた時の8個の対処法の5つ目は「ストレスを発散する」です。

屈辱を受けてイライラしている時。

間違いなくストレスを感じています。

ストレスは様々なトラブルの元になってしまいます。

即座に捨てることが重要なのです。

では簡単に実行することができる「ストレス発散法」を少々、ご紹介しておきましょう。

大声で叫ぶ

ストレス発散の方法の1つ目は「大声で叫ぶ」です。

人間、大きな声を出せば気持ちがスッとしませんか?

日常茶飯事に大声を上げている人にとったら感覚がマヒしてしまってもう一つ効果のほどが分からないかもしれませんが、そうでない方にとったらてきめんに威力を発揮してくれる方法だということを体感できるでしょう。

ただ、家の中で突然、大声を張り上げたら家族中がびっくりしてあなたの事を「超迷惑人」呼ばわりするかもしれません。

山の中とか誰もいない海で一人大声で叫べる場所が近くにあるのなら是非とも利用したいですね。

あるいはカラオケルームも大声を出すには相応しい場所ですね。

好きな歌を大音量で歌いまくれば、きっとスッとしてストレスの存在を忘れてしまうでしょう。

体を動かす

ストレス発散の方法の2つ目は「体を動かす」です。

イライラした時やストレスが溜まっているな、という時は身体を動かして汗をかきましょう。

体を動かしている時というのは、人間その事に集中していますので、それまで考えていたモヤモヤは嘘のようにどこかへ去ってしまいます。

同時に体を動かせば健康にもいいので一石二鳥です。

ストレスが溜まってどうしようもない、という時はスポーツやジョギング、ランニングなどでモヤモヤを吹き飛ばしましょうね。

誰かに話す

ストレス発散の方法の3つ目は「誰かに話す」です。

人間は言いたい事を黙っていると、余計にイライラが募ってきたりします。

だから世の中に「オシャベリ」というものがなくならないのがお分かりいただけると思うのです。

夢中になって自分の言いたい事を人に聞いてもらうと、気持ちがスッとします。

不思議な事ですが事実なので否定することは出来ないでしょう。

ムシャクシャして仕方ない時は、誰かを捕まえて思いっきり喋りましょう。

欲望のはけ口となるので話している方は効果満点の手段と言えますよ。

但し、聞かされている方の身にもなってあげてくださいね。

マッサージに行く

ストレス発散の方法の4つ目は「マッサージに行く」です。

マッサージを受けて身体の凝り固まった部分をもみほぐしてもらう。

こんな気持ちのいいストレスの発散方法は、ストレスがない時にも受けたいものです。

肩や腰、首などストレスが溜まるとそれらの箇所はキンキンに固まります。

それは血液の血行が非常に悪くなっているからです。

よってマッサージによって患部をもみほぐす事によって固まった箇所の血流を良くしてあげるのです。

マッサージを受けていると何故か眠くなってしまう人が多いのも、なるほど、頷ける事ですね。

断捨離する

ストレス発散の方法の5つ目は「断捨離する」です。

余計なモノや、後生大事にしている昔からの記念品、あなたの周りにありませんか?

それらのモノは失礼ながら、ほとんど役に立っておらず逆にあなたの両肩にのっかって、あなたに理由なき負担を与えているのです。

だから思い切ってそれらのものを捨ててください。

躊躇してはいけません。

思い切って捨てるのです。

そうする事によって、今まであなたを縛っていた計り知れない数々の遺品からあなたは開放されるのです。

モノを捨てるという行為は人によっては全く受け付けられない行為かも分かりません。

だから今、問題となっている「ゴミ屋敷」なるものが世に存在するのでしょう。

しかし、人間は自分の周囲に「ゴミ」同然のものを置いておくと、自分自身も「ゴミ」の如く人間に変化してしまうのです。

断捨離はそういったしがらみからあなたを開放してくれます。

身が軽くなったあなたは、再び新しいエネルギーに満ち溢れて活気ある生活を送れるようになりますよ。

ゲームをする

ストレス発散の方法の6つ目は「ゲームをする」です。

ストレスが溜まってどうしようもないのなら、時間の経つのも忘れてしまうゲームの存在も得難い方法の一つとなるでしょう。

ただ、ゲームは下手をすると「依存」という形で自分自身がやられてしまう可能性もあります。

計画的にケジメをつけてゲームを楽しめるのなら、問題はないでしょう。

寝る

屈辱を受けた時の8個の対処法の6つ目は「寝る」です。

寝れば小さな悩み事やストレスは消え去るように人間の脳は出来ているようです。

だから、嫌なことがあったりストレスを抱えそうな事が起こりそうだったら、夜更かしせずにサッサと寝ましょう。

睡眠を行って脳を休ませる。

この単純な方法がしっかりとあなたのストレスを忘れさせてくれますよ。

旅行に行く

屈辱を受けた時の8個の対処法の7つ目は「旅行に行く」です。

屈辱を受けて気持ちがいら立ったりメソメソするのなら、思い切って旅行に行きましょう。

見た事もない風景や自然に触れて気持ちを清算しましょう。

旅先で美味しいものを食べてリッチな気分に浸りましょう。

旅の思い出は、きっとあなたの心に巣食う、「屈辱感」を一掃してくれるはずです。

旅行は人の気分を変え、気持ちをほぐしてくれる最高の対処方ですよ。

深呼吸する

屈辱を受けた時の8個の対処法の最後の8つ目は「深呼吸する」です。

この方法が最も手軽で、最もお金のかからない方法です。

屈辱感に苛まれてイライラするのなら、まずは気持ちを落ち着けてグッと大きく深呼吸してみましょう。

脳に新鮮な酸素が血液によって運ばれ、気持ちがリフレッシュされることは間違いありません。

1回で効果がないのなら2度、3度と繰り返しましょう。

部屋中の酸素がなくなるくらい繰り返しましょう。

そして冷静になった頭でもう一度、考えましょう。

「自分の方が大人だ」と。

それが自然に思えたら、もうあなたは本当に誰の力も得ずに生き抜いていけますよ!

この思いをしたのは自分だけじゃないと思おう!

如何だったでしょうか?今回は「屈辱」について取り上げて参りました。

それらをもう一度、大きく振り返ってみますと、

・屈辱を受けた時はどんなとき?
・屈辱を受けた時の感情!
・屈辱を受けた時の8個の対処法とは?

というテーマでご紹介して参りました。

「屈辱」というものは、自分の事を好きな人間ならば誰でも感じてしまう「正しい感情手段の一つ」という見方が出来ると思います。

つまり自分の事が好きな人は、人生に対して夢を持ち、目標を立ててそれを実行している人に他ならないからです。

それを行っている事が、誰の目から見ても間違っていないもの、という自信や自負があるから自分の事が好きなのです。

それを公衆の面前で面白おかしく言われて罵倒されたらどうなりますか?誰だって怒り心頭、腹が立たないはずがありません。

いずれにしても、このような思い、自分一人ではない、と冷静に自分に言えるかどうか、なのですよね。

何かを成し遂げようという思いが強ければ強い人ほど、受ける屈辱感も強くなるのですから。

反対に人生に対して何の目標も夢もない人。

このような人が「屈辱」というものを理解できるはずもないのですよね。

そういった意味においては、屈辱に身を震わせているあなた、はるかに素晴らしい人生を歩んでいる、という事になるのですよ。