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屈辱を受けた時の8個の対処法(続き4)

今の時代はSNSを通してあっという間に世の中に様々なことを流されてしまいます。

屈辱感を味わされる要素は日常にゴロゴロ転がっている嫌な時代になったものですね。

屈辱を受けた時の感情!


それでは次に参りましょう。

今度は「屈辱を受けた時の感情」についてです。

人は大勢の面々の前で屈辱を受けたらどのような心情になってしまうのでしょうか?

まあ、おおよその察しもつくような感じも致しますが、今一度、頭を整理するためにも触れておぃましょう。

全部で4個のご紹介となります。

悔しい

屈辱を受けた時の感情の1つ目は「悔しい」です。

人から屈辱を受けてしまった時、まず思い浮かぶ発想がこれではないでしょうか。

「悔しい」という思いは、自分が正しいと思っていた信念や考えを公衆の面前でひっくり返され、そのあげく言われもないくらいプライドをズタズタに引き裂かれるような行為をされる事によって起こります。

それならば、そんな余計なプライドを持たずにいたなら、そんな悔しい思いもしないで済むのに。

と単純な疑問をお持ちになる方もいらっしゃるでしょう。

しかしながらそんなわけにはいきません。

それは当事者が人間だからです。

人間の持つ「心」を一切合切「放棄」すればそのような気持ちにも確かにならないでしょうが、それでは人間という生き物の存在意義が失われてしまいます。

人間という生きものは「心」を持ち、最低限でもいいので「プライド」というものを持っていないと生きる目標も持てなくなり「堕落」というものが始まってしまうのです。

だから「プライド」というものには「他者が容易に触れることを禁ずる」というものである、という認識が古くから存在しているのです。

それを平然と公衆の面前で罵倒するのですから、そりゃあ、悔やしさでいっぱいになるのも無理はありません。

人が屈辱を味わう時、必ずやこの「悔しさ」というものがあなたの心の奥底に刻み込まれてしまうでしょう。

恥ずかしい

屈辱を受けた時の感情の2つ目は「恥ずかしい」です。

「恥ずかしい」という思いは容認できる度量が人によってかなり違ってきますね。

つまり笑ってごまかせる範囲のものから、真剣に「恥ずかしい!このままじゃ生きてゆけない!」という思いのものまで、です。

人から屈辱を受けて思う「恥ずかしい!」は恐らく後者のものが該当するでしょう。

「死んでしまいたいくらいの恥ずかしさ」という思いはつまりその人が墓場まで持って行きたい「極秘」にしていた秘密を信頼していた人から世間に公表されてしまったような場面を言うのでしょうね。

人にはそれぞれ他人に言えない秘密が一つや二つはあるものです。

それを本人の了承もなく人前で公表されたらそりゃあ、自分のイメージが大きく壊れてしまい「恥ずかしい!」という思いにされてしまうでしょう。

さて、このような思いをさせられた相手、黙ってはいないでしょうね。

それ相応の「復讐」を屈辱を与えた人間は覚悟するべきでしょう。

逃げたい

屈辱を受けた時の感情の3つ目は「逃げたい」です。

この「逃げたい」という感情、先ほどの「恥ずかしい」と並んで当事者の性格はかなり「大人しめ」と言ってもいいかも分かりません。

人間の性格を大きく分類すれば、温厚な人と攻撃的な人に分けられるかもしれませんね。

屈辱を受けて「逃げたい」という気持ちになる方はもしかしたらこの「温厚」な性格分類に属するのかも分かりません。

もしこれが攻撃的な人だったら、有無を言わさず「怒る」事でしょう。

それをやらずに「逃げたい」と思うのですから、かなり人間が出来ている、と言えるかも分かりませんね。

まあどちらにしても逃げたいと思うくらいの屈辱感も、受けた人にとったら大きな迷惑です。

そんな目に遭わされる事を思えば逃げ出す程度ではすまないかも分かりませんよ。