その人がどう思うか、どう感じるか、なのです。
だからこそ怖くもあり、慎重にいかないといけません。
その人がどんな言葉で、「何、この人?」と感じるか分からないのですから。
例えば、40を越えたいい大人のタレントが、
「超」
「マジ」
「ぶっちゃけ」
「うめえー」(美味しいではなく)
と使っていたとします。
きっとなにがしのタレントの顔が浮かんだ人もいるでしょう。
この時に違和を感じない人もいますが、「いい大人が何その話し方」「痛々しい」と眉をひそめる人もいます。
そういうことなのです。
もちろん対面する人の内心は分かりません。
だからこそ、怪訝に思われてしまう事態を回避するためには、安全な言葉を選んで話すことが必要なのです。
どうしても外せない商談、面接、意中の人との初めてのデート、そんな「印象」が大事な場においては、冒険しない言葉遣いをつかうのがベスト、と言えるでしょう。
変に若者ぶる必要もないですし、流行に乗りすぎる必要もないのです。
良い年をした大人が使うべきではない
「死語」にしろ「生語(新語)」にしろ、使えば、
「いつの言葉だよ」
「あんな言葉を使って痛い人だな」
「って言葉の使い方、間違っているし」
という感想を持たれる恐れがある、それが言葉です。
何が言いたいかと申しますと、使ったからといって若者になれるわけではないのですから、
時代の中でぽつりと生まれた言葉は、使うなと言わないまでも、ほどほどに、がいいのです。
使ってみたらいつの間にか「死語」になっていた事態を避けるには、使わないことが最善ですし、
間違った使い方をしてしまう恐れがあるのなら、発しないのが最良なのです。
しっかりと意味は知っていても使わない――
それが恰好いい大人、良識のある大人と言えるでしょう。
見せるのは言葉でなく、豊富な知識です。
もちろん仕事中に使うべきではない
気心の知れた同期ならまだしも、それ以外なら使うべきではありません。
上司はもちろん、部下(年下)に使うと威厳がなくなる恐れがあります。
好きな異性の前で使うと嫌われる
まさにこれも対面した相手の感性なので、どう思うか分かりませんが、使わないに越したことはありません。
使ってもイメージが悪くなることのない相手かもしれませんが、そう断言は決してできないのですから。
まとめ
言葉についていろいろと考えると、大事なものであり、奥の深いものであり、そしてさらに考えれば、イメージと直結するので怖いものでもあります。
毎日絶対と言っていいほど使う言葉。
生活する中で必要な言葉。
つまり改善しようと思うのなら今からでもできますし、間違った使い方をしているのなら今からでも変えることができます。